小野喬に旭日中綬章、草笛光子に旭日小綬章。「中」と「小」の違いを、誰も知らない。




2005N114句(前日までの二句を含む)

November 04112005

 花芒金井克子の無表情

                           秋 尾

語は「(花)芒」で秋。芸能人を詠み込むのは難しいと思う。当人を知らない読者にはむろんわからないし、知っていてもそれぞれに印象が異なる場合も多いからだ。が、掲句は読んだ途端に、金井克子を知らない人には申し訳ないが、私はドンピシャリだと思った。この句、実は会員制の某掲示板に、昨日の午後書き込まれたものである。したがって、作者はあまり公にしたくないのかもしれないが、しかし良いと思った句は委細構わずに紹介するというのが、当歳時記の方針です。どこが良いって、花芒のすらりとしたたたずまいを金井克子のそれに通わせ、しかも花とはいえ、花そのものには何の愛想も無いところを、彼女の無表情に似ていると捉えたところだ。漢字表記を並べたところにも、その雰囲気が良く出ている。「はなすすき」では駄目なのだ。金井克子は十代でバレーのプリマドンナとしてデビューした人だから、顔の表情よりも全身での表現を体得しているはずである。つまり、テレビよりも舞台のほうを得意とする人だ。句の「無表情」は、テレビから受けた印象に違いなく、以前私も見ていて、しばしばその無表情にはヤキモキさせられたものだった。でも、彼女の無表情はどこか魅力的で、後を引く感じがあったのは、多く他の共演者が表情作りに懸命になっていたせいだろう。その落差が強い印象を残すところは、媚を売るなど知らぬげにそっけなく立っている花芒の魅力に通じている。そうだったのか、金井克子は植物にたとえれば花芒だったのか。と、作者のインスピレーションに感じ入ってしまった。掲句に触発されて調べてみたら、彼女も今年で還暦である。そしていまも、元気に舞台はつづけているそうだ。(清水哲男)


November 03112005

 父と子と同じ本買う文化の日

                           星野幸子

語は「文化の日」で秋。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だそうだが、その日だからといって、とりたてて何か文化的な行為をしようとも思わない。あ、世間は休みなのね。例年、そんなことをちらっと思うだけだ。句の場合もそうで、たまたま文化の日に父と子が本を買って戻ってきたのだろう。結果的には文化的行為となったわけで、作者は微笑した。しかし、二人が偶然にも同じ本を求めてきたことがわかって、今度は苦笑している。もったいないと思う気持ちと、やはり血は争えないという気持ちが、ごちゃ混ぜになった苦笑である。表面的にはそういう句であるのだが、作者の微苦笑の奥から滲み出てくるのは、もう一つ別の思いだろう。すなわち、「子」の成長を喜ぶ母心だ。この子が何歳かはわからないが、高校生くらいかな。「父」と同じ本を買うということは、大人の本を読めるほどに成長したということである。つい最近まではあり得なかったことが、ついにあり得ることになったのだ。一家に同じ本が二冊。もったいないのはもったいないのだけれど、作者には、そのもったいなさを嬉しく感じる気持ちのほうが強いのである。父子二人のたまたまの文化的行為が作者にもたらしたものは、ささやかだが、文化の日に似つかわしいプレゼントになった。子としても父としても、私には句のような体験はない。もったいないことに、自分で二冊、同じ本を買ってしまったことはあるけれど。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


November 02112005

 城裏や湾一枚に大きな秋

                           渡辺 侃

持ちの良い句だ。この「城」は、萩城である。山口県萩市街北西部、毛利氏三十六万石の居城であったが、現在は石垣と堀のみしか残っていない。城の裏には、句が言うように日本海につづく湾が開けており、天高しの候にはまことに見事な眺めとなる。瑠璃色に凪いだ湾を指して、「湾一枚」とは言い得て妙だ。一昨年の秋、萩城址のある指月山麓から西北寄りの笠山で小中学の同窓会があり、出席した。笠山は日本一の小さい火山としても知られていて、ここは日本海に大きく突き出ている。この日は快晴だったこともあり、中腹のホテルから見た海は素晴らしく、まさに「大きな秋」がどこまでも広がっているのであった。見るたびにいつも思うのだが、太平洋よりも日本海のほうが「海」としての風格は上だ。それはさておき、たくさんの昔のクラスメートと海の見える場所にいることが、何か奇跡のように思われたことが忘れられない。私たちの学校はバスも通わぬ奥深い山の中にあったので、海などは見たこともないという友人は少なくなかった。見たことのある私とても、引っ越しのために乗った汽車の窓からチラチラとでしかなかった。それがいまや、みんなの前にはごく当たり前のように海があったのだ。いっしょに通学していたときから数えて,ほぼ半世紀。短いとも長いとも思える五十年という年月が、いつしか山の子を海にまで容易に連れてくることを可能にしたのである。思い出話に興じつつも、私は何度もそのことを思い、胸を突かれ、何度も「大きな秋」のひろがりに目をやったのだった。平井照敏編『俳枕・西日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)




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