乳母車を押しながらケータイを操っている若い母親。ああ、文化国家ニッポンだなあ…。




2005ソスN11ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 03112005

 父と子と同じ本買う文化の日

                           星野幸子

語は「文化の日」で秋。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だそうだが、その日だからといって、とりたてて何か文化的な行為をしようとも思わない。あ、世間は休みなのね。例年、そんなことをちらっと思うだけだ。句の場合もそうで、たまたま文化の日に父と子が本を買って戻ってきたのだろう。結果的には文化的行為となったわけで、作者は微笑した。しかし、二人が偶然にも同じ本を求めてきたことがわかって、今度は苦笑している。もったいないと思う気持ちと、やはり血は争えないという気持ちが、ごちゃ混ぜになった苦笑である。表面的にはそういう句であるのだが、作者の微苦笑の奥から滲み出てくるのは、もう一つ別の思いだろう。すなわち、「子」の成長を喜ぶ母心だ。この子が何歳かはわからないが、高校生くらいかな。「父」と同じ本を買うということは、大人の本を読めるほどに成長したということである。つい最近まではあり得なかったことが、ついにあり得ることになったのだ。一家に同じ本が二冊。もったいないのはもったいないのだけれど、作者には、そのもったいなさを嬉しく感じる気持ちのほうが強いのである。父子二人のたまたまの文化的行為が作者にもたらしたものは、ささやかだが、文化の日に似つかわしいプレゼントになった。子としても父としても、私には句のような体験はない。もったいないことに、自分で二冊、同じ本を買ってしまったことはあるけれど。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


November 02112005

 城裏や湾一枚に大きな秋

                           渡辺 侃

持ちの良い句だ。この「城」は、萩城である。山口県萩市街北西部、毛利氏三十六万石の居城であったが、現在は石垣と堀のみしか残っていない。城の裏には、句が言うように日本海につづく湾が開けており、天高しの候にはまことに見事な眺めとなる。瑠璃色に凪いだ湾を指して、「湾一枚」とは言い得て妙だ。一昨年の秋、萩城址のある指月山麓から西北寄りの笠山で小中学の同窓会があり、出席した。笠山は日本一の小さい火山としても知られていて、ここは日本海に大きく突き出ている。この日は快晴だったこともあり、中腹のホテルから見た海は素晴らしく、まさに「大きな秋」がどこまでも広がっているのであった。見るたびにいつも思うのだが、太平洋よりも日本海のほうが「海」としての風格は上だ。それはさておき、たくさんの昔のクラスメートと海の見える場所にいることが、何か奇跡のように思われたことが忘れられない。私たちの学校はバスも通わぬ奥深い山の中にあったので、海などは見たこともないという友人は少なくなかった。見たことのある私とても、引っ越しのために乗った汽車の窓からチラチラとでしかなかった。それがいまや、みんなの前にはごく当たり前のように海があったのだ。いっしょに通学していたときから数えて,ほぼ半世紀。短いとも長いとも思える五十年という年月が、いつしか山の子を海にまで容易に連れてくることを可能にしたのである。思い出話に興じつつも、私は何度もそのことを思い、胸を突かれ、何度も「大きな秋」のひろがりに目をやったのだった。平井照敏編『俳枕・西日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 01112005

 寄る家のなき本籍地暮の秋

                           望月哲土

語は「暮の秋」。秋も終りに近づいた季節・気候の感じを言う。作者は出張か旅行かで、たまたま「本籍地」のあたりを通りかかったのだろう。子供の頃に住んでいたところか、あるいは暮らしたことのない父方の故郷なのかもしれない。いずれにしても、もはや知る人もなく、訪ねる家もない。冷たい風が吹いていて、そぞろ寒さが身に沁みてくる。本籍地ということで、日頃はその土地の名前などに何となく親しみを覚えてはいるのだけれど、いざそこに立ってみると、見知らぬ異郷でしかないのである。ご存知のように、本籍地はどこにでも定めることができる。が、私もそうだが、自分と何らかの関わりを持つ土地に決めるのが普通だろう。私は結婚を機に、それまでの本籍地であった父の田舎から、最初に住んだ街に移した。移したのは、父の田舎のままにしておくと遠いので、戸籍謄本の取り寄せなどにひどく時間がかかったためである。以後、そういうときには歩いて数分の区役所に出向けばよく、ずいぶん便利にしていた。しかし、その後の転居の際には同じ都内でもあり、そのまま打っちゃっておいたら、やはり何かの折りには郵便でのやりとりを余儀なくされ、その度に変えようとは思うのだが、性来の無精が勝った格好で、まだそのまんまにしてある。その本籍地には、もう寄る家もないし、人の出入りが激しい都会だから、たぶん知る人も少なくなっているだろう。機会があれば立ち寄ってみたいとは思うけれど、おそらく掲句のような心情になるのがオチというものではなかろうか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます