October 302005
ラヂオつと消され秋風残りけり星野立子季語は「秋風」。「ラヂオ」という表記の時代には、携帯ラジオはなかった。したがって、作者は庭など戸外にいるのだが、聞こえているのは家の中に置いてある「ラヂオ」からの音だ。それも耳を澄まして聴いていたわけではなく、なんとなく耳に入っていたという程度だろう。そんな程度だったが、誰かに「つと消され」てみると、残ったのは「秋風」ばかりという感じで、あたりの静けさがにわかに心に沁みたというのである。静寂を言うのに、婉曲に「秋風残りけり」と余韻を持たせたところが心憎い。いかにも、俳句になっている。この句でふっと思い出したが、昔は表を歩いていても、よくラジオの音が聞こえてきたものだった。ということは、どこの家でも大きな音で聞いていたことになる。永井荷風は隣家のラジオがうるさいと癇癪を起こしているし、太宰治「十二月八日」の主婦は、やはり隣家のラジオでかつての大戦がはじまったことを知ったことになっている。なぜ大きな音で聞いていたのだろうか。と考えてみて、一つには昨今の住宅との密閉度の差異が浮かんでくるが、それもあるだろう。が、いちばんの理由は、現在のように音質がクリアーでなかったからではあるまいか。雑音が激しかった。つまり、大きな音で鳴らさないと、たとえばアナウンサーが何を言っているのかがよく聞き取れなかったせいだと思うのだが……。学校の行き帰りに、どこからともなく聞こえてきたラジオ。懐かしや。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男) October 292005 震度2ぐらいかしらと襖ごしに言う池田澄子無 October 282005 深秋の習志野に見し落下傘中嶋秀子季語は「深秋(しんしゅう)」、「秋深し」に分類。千葉県の習志野市には自衛隊の駐屯基地がある。空挺団を持っているので、掲句は降下訓練の模様を詠んだものだろう。見たまんま、そのまんまだけれど、この句は「落下傘」を詠んだのではなく、その背景に広がる大空を詠んでいる。このときに真っ白いパラシュートは、紺碧の空を引き立てるための小道具なのだ。「深秋」の良く晴れた空は、それでなくとも美しいが、いくつかの小さな落下傘を浮かべることで、よりいっそう深みを増すことになった。そこで私の見たいちばん美しい空はと思い出してみて、学生時代の富士登山で見た空がよみがえってきた。夏、空気の清浄なこともあり、頂上近くなると抜けるような青空だった。思わずも「ああ、イーストマン・カラーみたいだ」と思ったのは、熱心な映画ファンだったことによる。最も映画を見た年は、数えてみたら400本を越えていた。当時のイーストマン・カラーは、コントラストの強いメリハリのはっきりした濃い色を出していたと思う。だから情景によっては嘘っぽくも見えてしまうわけだが、富士山の空はまさに天然色としてカラー映画そのものであった。いまでも私はちょっと濃いめの発色が好きで、カメラで言えばニコンの空色に惹かれる。しかしニコンは良いけれど、値段はすこぶるよろしくない。指をくわえて見ているだけとは、情けなや……。『季語別中嶋秀子句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)
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