October 292005
震度2ぐらいかしらと襖ごしに言う池田澄子無 October 282005 深秋の習志野に見し落下傘中嶋秀子季語は「深秋(しんしゅう)」、「秋深し」に分類。千葉県の習志野市には自衛隊の駐屯基地がある。空挺団を持っているので、掲句は降下訓練の模様を詠んだものだろう。見たまんま、そのまんまだけれど、この句は「落下傘」を詠んだのではなく、その背景に広がる大空を詠んでいる。このときに真っ白いパラシュートは、紺碧の空を引き立てるための小道具なのだ。「深秋」の良く晴れた空は、それでなくとも美しいが、いくつかの小さな落下傘を浮かべることで、よりいっそう深みを増すことになった。そこで私の見たいちばん美しい空はと思い出してみて、学生時代の富士登山で見た空がよみがえってきた。夏、空気の清浄なこともあり、頂上近くなると抜けるような青空だった。思わずも「ああ、イーストマン・カラーみたいだ」と思ったのは、熱心な映画ファンだったことによる。最も映画を見た年は、数えてみたら400本を越えていた。当時のイーストマン・カラーは、コントラストの強いメリハリのはっきりした濃い色を出していたと思う。だから情景によっては嘘っぽくも見えてしまうわけだが、富士山の空はまさに天然色としてカラー映画そのものであった。いまでも私はちょっと濃いめの発色が好きで、カメラで言えばニコンの空色に惹かれる。しかしニコンは良いけれど、値段はすこぶるよろしくない。指をくわえて見ているだけとは、情けなや……。『季語別中嶋秀子句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男) October 272005 ホップ摘み了へ庭中に木偶の坊宮坂静生連作「遠野行」のうち。「ホップ」とあれば、私のようなビール好きは嫌でも立ち止まる。しかし、何度も読んだが、よくわからない。わからないのは作者のせいではなくて、ホップの知識が乏しい私のせいである。私も数年前、ホップの特産地である遠野に出かけたときにはじめて見たのだが、初夏だったので収穫期にはほど遠かった。ホップの収穫期は、八月から九月初旬にかけてだという。季語としては「秋」になるわけだ。ホップの蔓は十数メートルと長いので、栽培には鉄の棒や金属製のパイプを立てて、それに巻きつかせる。いろいろ考えたけれど、掲句はこの棒のことを「木偶の坊」と言っているように思える。つまり、収穫が終わって役立たずになった棒どもが、畑から引っこ抜かれて庭中に置かれている図だ。背だけはいっちょまえ以上に高いのだが、場所塞ぎになるだけで、もうこうなるとまさに木偶の坊でしかない。収穫以前の颯爽たる立ち姿は、どこに消えたのか。哀れでもあるけれど、どこか滑稽でもある。そんな句意ではあるまいか。なお、乏しい知識のなかから一つ「うんちく」を転がしておくと、ホップには神経鎮静作用があり、昔の欧米では普通に薬局で売っていた。その影響かどうかは知らないが、明治初期の我が国では、ビールは主として薬屋が販売していたそうだ。「俳句」(2005年11月号)所載。(清水哲男)
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