ロッテファンのみなさん、日本一おめでとう。野球ファンのみなさん、来季を楽しみに。




2005ソスN10ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 27102005

 ホップ摘み了へ庭中に木偶の坊

                           宮坂静生

作「遠野行」のうち。「ホップ」とあれば、私のようなビール好きは嫌でも立ち止まる。しかし、何度も読んだが、よくわからない。わからないのは作者のせいではなくて、ホップの知識が乏しい私のせいである。私も数年前、ホップの特産地である遠野に出かけたときにはじめて見たのだが、初夏だったので収穫期にはほど遠かった。ホップの収穫期は、八月から九月初旬にかけてだという。季語としては「秋」になるわけだ。ホップの蔓は十数メートルと長いので、栽培には鉄の棒や金属製のパイプを立てて、それに巻きつかせる。いろいろ考えたけれど、掲句はこの棒のことを「木偶の坊」と言っているように思える。つまり、収穫が終わって役立たずになった棒どもが、畑から引っこ抜かれて庭中に置かれている図だ。背だけはいっちょまえ以上に高いのだが、場所塞ぎになるだけで、もうこうなるとまさに木偶の坊でしかない。収穫以前の颯爽たる立ち姿は、どこに消えたのか。哀れでもあるけれど、どこか滑稽でもある。そんな句意ではあるまいか。なお、乏しい知識のなかから一つ「うんちく」を転がしておくと、ホップには神経鎮静作用があり、昔の欧米では普通に薬局で売っていた。その影響かどうかは知らないが、明治初期の我が国では、ビールは主として薬屋が販売していたそうだ。「俳句」(2005年11月号)所載。(清水哲男)


October 26102005

 蓑虫の蓑は文殻もてつづれ

                           山口青邨

語は「蓑虫(みのむし)」で秋。そこはかとなく哀れを誘う虫だ。江戸期の百科事典とも言うべき『和漢三才図絵』(東洋文庫・平凡社)に、その風情がよくまとめられている。「その首を動かす貌、蓑衣たる翁に彷佛(さもに)たり。ゆゑにこれに名づく。俗説に、秋の夜鳴きて曰、秋風吹かば父恋しと。しかれども、いまだ鳴声を聞かず。けだし、この虫木の葉を以て父と為し、家と為し秋風すでに至れば、零落に近し。人これを察して、付会してかいふのみ。その鳴くとは、すだく声にあらず、すなはち涕泣の義なり」。すなわち、蓑虫はいつも涙を流して泣いているのだ。だとすれば、蓑虫よ。木の葉などの蓑をまとわずに、「文殻(ふみがら)」でこしらえた蓑こそが、お前には似つかわしいぞ。懐かしい古い手紙の数々を身にまとえば、少しは心の慰めになろうものを。掲句は、そう言っている。優しい句だ。掲句を読んで、子供ののころにやらかした悪戯を思い出した。ぶら下がっている蓑虫を取ってきて丸裸にし、それをあらかじめ千切っておいた色紙の屑に乗せておく。そのまま遊びに出かけて帰ってくると、なんと蓑虫は色鮮やかな衣装に着替えているというわけだ。これはなんとも野蛮な所行だったが、この虫が文殻を着ることも不可能ではないわけで、作者もそんな遊びを知っているなと、ちらりと余計なことを思ってしまった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 25102005

 しぐるるや船に遅れて橋灯り

                           鷹羽狩行

語は「しぐるる(時雨るる)」、「時雨」に分類。冬の季語だが、晩秋を含めてもよいだろう。昔の歌謡曲に「♪どこまで時雨ゆく秋ぞ」と出てくる。作者はおそらく、海峡近くのホテルあたりから海を見ているのだ。日暮れに近い外はつめたい時雨模様で、遠くには灯りをつけた船がゆっくりと動いている。と、近景の長い橋にいっせいに明りが灯った。時雨を透かして見える情景は、まさに一幅の絵のように美しい。しばし陶然と魅入っている作者の心持ちが、しみじみと伝わってくる句だ。言うなれば現代の浮世絵であるが、絵と違って、掲句には時間差が仕込まれている。何でもないような句だけれど、巧いなあと唸ってしまった。「しぐるる」の平仮名表記も効果的だ。この句を読んでふと思ったことだが、橋に明りが灯るようになったのはいつごろからなのだろうか。明治期の錦絵を見ると、日本橋に当時の最先端の明りであるガス灯が灯っていたりする。しかし通行人はみな提灯をさげていて、そのころの夜道の暗さがしのばれるが、これは実用と同時にライトアップ効果をねらった明りのようにも思える。ガス灯以前の橋の上が真っ暗だったとすると、月の無い夜、大川あたりの長い橋を渡るのはさぞや心細かったに違いない。まして、時雨の夜などは。俳誌「狩」(2005年11月号)所載。(清水哲男)




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