室内でコンタクトレンズを紛失。16000円もするので懸命に探すも見当たらず。SIGH..




2005ソスN9ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2792005

 黒葡萄包む「山梨日日」に

                           中村与謝男

語は「葡萄(ぶどう)」で秋。作者は関西在住だから、山梨に旅したときの句だろう。山梨は、ご存知のように有数の葡萄の特産地だ。葡萄狩りを楽しんだのだろうか。摘んだ黒葡萄をお土産に持ち帰るのに、「山梨日日(新聞)」で包んだというのである。ただそれだけの句であるが、他の新聞ではなく、わざわざ地元紙を選んで包んだところがミソなのだ。つまり作者は、葡萄だけではなくて,それを包んだ新聞までが土産になるという思いつきを喜んでいる。どうせ包むならそうありたいと、ちょっと私にもそういうところがある。どの地方でも読める全国紙なら、土産をもらった人はすぐに捨ててしまうだろうが、普段は読めない地方紙だと、目を通したくなるのが人情だ。少なくとも、見出しや写真だけにでも注目してくれるだろうと、作者のいわばサービス精神が働いている。特産物を、地元の社会的な雰囲気といっしょに届けるという発想は嬉しい。ちなみに、昨日付「山梨日日」朝刊のヘッドラインから拾っておくと、「秋季関東高校野球、4強出そろう」「10月2日の須玉甲斐源氏祭り、戦国時代の櫓が登場」「甲府一高伝統の『強行遠足』、野辺山目指し健脚競う」等々だ。「強行遠足」の小見出しには「男子の7割、女子9割が完走果たす」とある。こんな記事の載っている新聞で葡萄が包んであったとしたら、私は喜んで読んでしまうだろう。『樂浪』(2005)所収。(清水哲男)


September 2692005

 ゑのころの穂に茜さす志

                           佐々木六戈

語は「ゑのころ」で秋、「狗尾草(えのころぐさ)」に分類。花穂を子犬の尾に見立てて、この名がある。「猫じゃらし」とも言い、こちらのほうが一般的かもしれない。環境に順応する力が強いのだろうか、全国的にどこにでも生えている草だ。そんないわば雑草が、朝日を浴びて茜色に照り映えている状景だろう。そして「茜さす」はもともとが「朝日」や「光」「紫」などにかかる枕詞だから、掲句では「ゑのころの穂」の状景を描写するのと同時に、本来の使い方で下五の「志」にもかけてあるのだと思う。すなわち「茜さす志」とは、「赤心」に通じる嘘いつわりやはったりのない真摯な志の意味と読める。秋の朝のさわやかな大気のなかで、みずからの志のことを思っているわけだが、その志は「ゑのころ」と同じように決して大きくも派手でもない。だがしかし、いくらつつましやかな志だとはいえ志は志なのであるから、容易に成就するはずもなく、作者はいつの日かおのれの「茜さす志」が文字通りに照り映えることがあるだろうかと、日に染まって揺れている「ゑのころ」にしばし眺め入っているのである。この句に触れて、私は若き日の志のことを思い出した。と同時に、現在の自分には志と呼べるようなものが何もないことに愕然ともしたのだった。「句歌詩帖・草藏」(第23号・2005年9月刊)所載。(清水哲男)


September 2592005

 鳴く雁を仰ぐ六才ともなれば

                           辻田克巳

語は「雁(かり)」で秋。最近、アメリカのサイトで興味深い記事を読んだ。新しいデジカメを買ったので、これまで使っていた古い機種を間もなく五才になる息子に与えてみた。間もなく五才「ともなれば」、一通りの操作はできるようだ。いろいろと彼が撮った写真を見てみると、大人とはかなり被写体への関心が違っているのがわかった。人物写真の多くには顔が映っておらず、またカメラがまっすぐになっているかなどには頓着していない。前者について筆者は、一メートルそこそこの身長では、彼の視野に日頃さして人の顔が入ってこないためだろうと分析し、後者については、その無頓着がユニークなセンスとして表現されていると驚いている。すなわち、大人と子供とでは日常的な視野が違うし、関心の持ちようも大違いというわけだ。それがだんだん成長するに連れ、いわば分別がついてきて、顔のない人物写真などは撮らなくなってしまう。この話の延長上で掲句を捉えると、やはり「六才ともなれば」、五才とはだいぶ違った様子になる。むろん「鳴く雁」に風情を感じているのではないが、仕草だけを見れば、かなり分別くさく写る。子煩悩ならば、その成長ぶりに目を細めることだろう。そしてこの句の良さは、こうした六才の仕草を通じて、読者それぞれに六才だった頃のことを思い出させるところだ。自分のときは、どうだったかな。ときどき書いてきたように、私の六才の空には、たいていB-29の機影と探照灯の光帯があった。「俳句」(2005年10月号)所載。(清水哲男)




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