おや、また週末に三連休が。良いことだ。土曜日も出社した私の頃は、働き過ぎでした。




2005ソスN9ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2092005

 ヒチコックの鴉ミレーの落穂かな

                           宮崎晴夫

鳥
語は「落穂(おちぼ)」で秋。稲刈りの後に落ち散った稲の穂。昔は落穂ひろいも農家の重要な仕事だったが、今ではどうなのだろう。句では、収穫後の田圃に人が出て、やはり落穂をひろっているのではあるまいか。周辺には、何羽かの鴉(からす)が飛んだり止まったりしているのが見えている。まことに長閑でおだやかな光景だ。だが、その牧歌的な眺めも、作者のようにふっと何かを連想することで、たちまち不吉な予兆を帯びた情景に変貌してしまう。こうした句では、何を連想するかが句の良し悪しの分かれ目となるが、私にはなかなかにユニークな連想だと思われた。「ヒ(ッ)チコックの鴉」とは、映画『鳥』(1963)に出てくる鴉だ。この映画は、普段は人間に何の害も及ぼさない野生の鴉や雀らが、ある日突然わけも無く人間に襲いかかってくるという動物パニック映画の傑作だ。とくに大きくて真っ黒い鴉たちが、だんだん周辺に数を増やしてくるシーンには非常に不気味なものがあった。作者はその様子をミレーの絵『落穂ひろい』にダブらせて連想し、熱心に落穂をひろう三人の女たちが顔を上げると、もはや周囲は鴉の集団に包囲され、真っ黒になっている図を想像している。一種の白日夢ではあるけれど、鴉の邪悪が農婦の敬虔を脅かす予感は十分にドラマチックだ。ただし、こういう句は一句詠んだら、それでお終いにしたい。バリエーションは可能でも、詠むほどに面白みが減っていくからだ。『路地十三夜』所収。(清水哲男)


September 1992005

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

語は「老人の日(敬老の日)」で秋。1951年(昭和二十六年)から始まった「老人の日」が、「敬老の日」として1966年(昭和四十一年)から国民の祝日に制定された。当たり前のことながら、高齢者にとっては「毎日が老人の日」だ。子供や若者とは違って、高齢者は否応無く日々「年齢」を意識して生きる存在である。老人を対象としたホームヘルパーなどが使う用語に「生活後退」があるが、これは高齢者・障害者など生活障害がある人々の衣食住を中心とした「基本的な生活」の局面で現れる生活内容の貧困化、悪化及び自律性の後退である。軽度ながら「飯こぼす」もその一つで、こうした身体機能の低下は極めて具体的であるがゆえに、その都度「年齢」を意識せざるを得ないわけだ。したがって当人には毎日が老人の日なのであり、その毎日のなかの年に一日だけを取り出して仰々しい日にするなんぞは、全体どういう了見からなのか。こっちは日常的に老いを意識して生きざるを得ないのに、重ねて国が追い打ちをかけることもあるまいに……。と、作者は鼻じろむと同時に、その一方で「飯こぼす」自分の情けなさに憮然としてもいるのだ。ああ、トシは取りたくねえ。私事だが、最近よく小さい物を落とすようになった。ビンの蓋だとかメモ用の鉛筆だとか。若い頃にはむろん何とも思わなかったけれど、いまでは落とすたびにショックを受ける。生活後退の兆しだろうな、と。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1892005

 今日の月すこしく欠けてありと思ふ

                           後藤夜半

語は「今日の月」で秋。陰暦八月十五日の月、中秋の名月のこと。「名月」に分類。昔は盗賊でも歌を詠んだという、今宵は名月。期待していたのに、満月と言うにはどうも物足りない。よくよく眺めてみるのだが、「すこしく欠けて」いるではないか。「すこしく」は「ちょっと」ではなく「かなり」の意だから、作者はそれこそ「すこしく」戸惑っている。おいおい、本当に今日が十五夜なのかと、誰かに確かめたくなる。天文学的なごちゃごちゃした話は置いて、名月に「真円」を期待するのは人情だから、作者の気持ちはよくわかる。この場合は、作者の「真円」のイメージが幾何学的にきつすぎたようだ。似たような思いを抱く人はいるもので、富安風生に「望月のふと歪みしと見しはいかに」がある。やはり「望月」は、たとえば盆のように真ん丸でないと、気分がよろしくないのだ。それが歪んで見えた。「ふと」とあるから、こちらの目の錯覚かなと、名月に対して風生は夜半よりも「すこしく」謙虚ではあるのだが……。工業の世界には真円度測定機なんてものもあるほどに、この世に全き円など具体的には存在しない。それを人間から名月は求められというわけで、月に心があるならば、今年は出るのをやめたいなと思うかもしれませんね。さて、今夜の月はどんなふうに見えるでしょうか。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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