三鷹市浴場組合が今日、敬老の日湯を。65歳以上無料。でも一番近い銭湯まで徒歩30分。




2005ソスN9ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1992005

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

語は「老人の日(敬老の日)」で秋。1951年(昭和二十六年)から始まった「老人の日」が、「敬老の日」として1966年(昭和四十一年)から国民の祝日に制定された。当たり前のことながら、高齢者にとっては「毎日が老人の日」だ。子供や若者とは違って、高齢者は否応無く日々「年齢」を意識して生きる存在である。老人を対象としたホームヘルパーなどが使う用語に「生活後退」があるが、これは高齢者・障害者など生活障害がある人々の衣食住を中心とした「基本的な生活」の局面で現れる生活内容の貧困化、悪化及び自律性の後退である。軽度ながら「飯こぼす」もその一つで、こうした身体機能の低下は極めて具体的であるがゆえに、その都度「年齢」を意識せざるを得ないわけだ。したがって当人には毎日が老人の日なのであり、その毎日のなかの年に一日だけを取り出して仰々しい日にするなんぞは、全体どういう了見からなのか。こっちは日常的に老いを意識して生きざるを得ないのに、重ねて国が追い打ちをかけることもあるまいに……。と、作者は鼻じろむと同時に、その一方で「飯こぼす」自分の情けなさに憮然としてもいるのだ。ああ、トシは取りたくねえ。私事だが、最近よく小さい物を落とすようになった。ビンの蓋だとかメモ用の鉛筆だとか。若い頃にはむろん何とも思わなかったけれど、いまでは落とすたびにショックを受ける。生活後退の兆しだろうな、と。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1892005

 今日の月すこしく欠けてありと思ふ

                           後藤夜半

語は「今日の月」で秋。陰暦八月十五日の月、中秋の名月のこと。「名月」に分類。昔は盗賊でも歌を詠んだという、今宵は名月。期待していたのに、満月と言うにはどうも物足りない。よくよく眺めてみるのだが、「すこしく欠けて」いるではないか。「すこしく」は「ちょっと」ではなく「かなり」の意だから、作者はそれこそ「すこしく」戸惑っている。おいおい、本当に今日が十五夜なのかと、誰かに確かめたくなる。天文学的なごちゃごちゃした話は置いて、名月に「真円」を期待するのは人情だから、作者の気持ちはよくわかる。この場合は、作者の「真円」のイメージが幾何学的にきつすぎたようだ。似たような思いを抱く人はいるもので、富安風生に「望月のふと歪みしと見しはいかに」がある。やはり「望月」は、たとえば盆のように真ん丸でないと、気分がよろしくないのだ。それが歪んで見えた。「ふと」とあるから、こちらの目の錯覚かなと、名月に対して風生は夜半よりも「すこしく」謙虚ではあるのだが……。工業の世界には真円度測定機なんてものもあるほどに、この世に全き円など具体的には存在しない。それを人間から名月は求められというわけで、月に心があるならば、今年は出るのをやめたいなと思うかもしれませんね。さて、今夜の月はどんなふうに見えるでしょうか。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1792005

 掛稲のむかうがはから戻らぬ子

                           満田春日

語は「掛稲(かけいね)」で秋、「稲架(はざ)」に分類。乾燥させるために稲架に掛けわたしてある、刈り取った稲群のこと。この季節の、昔なつかしい田園風景だ。たいていは一段に干すが、地方によっては段数の多いものもある。ちょこまかと走り回って遊んでいた「子」が、不意に掛稲の向こう側に行ってしまった。よくあることで、こちら側からはどこまで行ったのかが隠れて見えない。とくに心配することもないので、しばらく戻ってくるのを待っていたが、なかなか姿を現してくれない。「おや、どうしたのかな」と、少し不安になってきた図だろうか。これもまた親心というもので、他人からは「まさか永遠に帰ってこないわけではあるまいし」と、笑い飛ばされるのがオチだろう。ただ私は、作者の本意に適うかどうかは別にして、句には「永遠に戻らない子」が含意されているように思われた。すなわち、たいがいの親子の別れというものは、親の側に立てば,このようにやってくるのが普通だろうと……。さっきまでそこらへんで遊んでいたようなものである子が、たとえば進学や就職、結婚などのために親元を離れていく。親としては、はじめは稲架の向こう側に行ったくらいの軽い気持ちでいるのだけれど、以後はついに共に暮らすこともなく終わるケースは多い。私自身も子として、大学進学以来、一度も親と同居することはなかった。『雪月』(2005)所収。(清水哲男)




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