久しぶりの高速バスで帰京の予定。一昨年の萩市までは辛かったけど、元来バス好きだ。




2005ソスN9ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1792005

 掛稲のむかうがはから戻らぬ子

                           満田春日

語は「掛稲(かけいね)」で秋、「稲架(はざ)」に分類。乾燥させるために稲架に掛けわたしてある、刈り取った稲群のこと。この季節の、昔なつかしい田園風景だ。たいていは一段に干すが、地方によっては段数の多いものもある。ちょこまかと走り回って遊んでいた「子」が、不意に掛稲の向こう側に行ってしまった。よくあることで、こちら側からはどこまで行ったのかが隠れて見えない。とくに心配することもないので、しばらく戻ってくるのを待っていたが、なかなか姿を現してくれない。「おや、どうしたのかな」と、少し不安になってきた図だろうか。これもまた親心というもので、他人からは「まさか永遠に帰ってこないわけではあるまいし」と、笑い飛ばされるのがオチだろう。ただ私は、作者の本意に適うかどうかは別にして、句には「永遠に戻らない子」が含意されているように思われた。すなわち、たいがいの親子の別れというものは、親の側に立てば,このようにやってくるのが普通だろうと……。さっきまでそこらへんで遊んでいたようなものである子が、たとえば進学や就職、結婚などのために親元を離れていく。親としては、はじめは稲架の向こう側に行ったくらいの軽い気持ちでいるのだけれど、以後はついに共に暮らすこともなく終わるケースは多い。私自身も子として、大学進学以来、一度も親と同居することはなかった。『雪月』(2005)所収。(清水哲男)


September 1692005

 呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉

                           長谷川かな女

語は「芙蓉(ふよう)」で秋。近所に芙蓉を咲かせているお宅があり、毎秋見るたびに掲句を思い出す。といっても、共鳴しているからではなくて、かつてこの句の曖昧さに苛々させられたことが、またよみがえってくるからである。つとに有名な句だ。有名にしたのは、次のような杉田久女に関わるゴシップの力によるところが大きかったのだと思う。「(久女の)ライバルに対する意識は旺盛でつねに相手の俳句を注視し、思いつめてかな女の句が久女より多く誌上にのると怒り狂い、『虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯』という句をわざわざ書いて送ったりするが、かな女のほうは『呪ふ人は好きな人なり花芙蓉』と返句する。軽くいなされて久女はカッとなった」(戸板康二「高浜虚子の女弟子」)。「花芙蓉」は「紅芙蓉」の誤記だ。プライドの高かった久女のことだから、さもありなんと思わせる話ではあるが、実はまったくの誤伝である。誤伝の証明は簡単で、掲句は久女句よりも十五年も前の作だからだ。しかし戸板もひっかかったように、長年にわたってこの話は生きていたようで、「ため」にする言説は恐ろしい。ところで、私が句を曖昧だと言うのは、「呪ふ」の主体がよくわからないところだ。ゴシップのように「呪ふ」のは他者であるのか、それとも「好き」の主体である自分なのか、はなはだ漠然としている。どちらを取るかで、解釈は大きく異なってくる。考えるたびに、苛々させられてきた。失敗作ではあるまいか。諸種の歳時記にも例句として載っているけれど、不思議でならない。私としては、まずこの句をこそ呪いたくなってくる(笑)。『女流俳句集成』(1999)所収。(清水哲男)


September 1592005

 怨み顔とはこのことか鯊の貌

                           能村登四郎

語は「鯊(はぜ)」で秋。昨日のつづきみたいになるが、しかし作者は、むろん審美的に魚を見ているのではない。鯊は頭と口が大きく、目が上のほうについているので、なんとなく人間の顔に似て見える。それも決して明るい表情ではなく、句のように、見れば見るほど暗い顔に見える。たぶん作者は誰かに「(あの表情は)怨み顔」なのだと教えられ、なるほど「このことか」と、あらためてまじまじと見つめているのだ。では、なぜ鯊が「怨み顔」をしているのか。その答えを書いた詩に、安西均の「東京湾の小さな話」(詩集『お辞儀するひと』所収)がある。「いちばん釣れるのはお彼岸ごろだから、/まだちょっと早いさうだが、/鯊釣りに誘はれた。すっかり/凪いで晴れた東京湾では、」ではじまるこの詩は、同行の青年のお祖母さんから聞いた話で締めくくられていく。「だってねえ、あたしゃ嫁に来た年の/大震災をようく覚えてますよ。/ええ、陸軍記念日の大空襲でも、/命からがら逃げまはって、/どっちも何万といふ人が大川で、/焼け死に、溺れ死にしましてね。/あなた、東京湾の鯊。あれは、/何食って育ったと思ひます」。このお祖母さんの話を受け、詩人は次の一行を加えて詩を閉じている。「生涯、鯊を食はないひともゐるのだ」。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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