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September 1492005

 うつくしや鰯の肌の濃さ淡さ

                           小島政二郎

語は「鰯(いわし)」で秋。「鰯」は国字(日本で作った漢字、「凩」や「峠」などの類)で、漁獲するとすぐにいたんでくる「弱さ」からの作字だという。掲句を採り上げたのは、他でもない。このように鰯をしみじみと見つめた句は、とても珍しいからだ。鯛(たい)のような高級魚ならばともかく、捨てるほど穫れた鰯に見惚れて「うつくしや」などと言うのは、よほど特異な審美眼からの発想である。作者は『人妻鏡』などの大衆小説や『眼中の人』『円朝』などを書いた達者な小説家で、『くひしんぼう』という随筆集のある美食家でもあった。美食家はまず目で楽しむというから、その意味では本領を発揮した句と言えるかもしれない。鯛も鰯も、目で楽しむ分にはイーブンなのだぞ、と。ところが近年、どういう加減からか、鰯がだんだん穫れなくなってきた。二年前だったか、市場で鯛よりも高値がつくという珍事まで起きている。こうなるともはや立派な高級魚で、気がついてみたら、飲み屋などで気楽に注文できる魚ではない。中央水産研究所の今年度の漁獲予想によっても、やはりかんばしくなさそうだ。となると、これからは私のような「特異な審美眼」を持たない者でも、句の作者のように鰯をしみじみと見つめる時代になりそうだ。べつに政治が悪いわけじゃないけれど、なんだかなあ、へんてこりんな気分になってくる。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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