八月も残りわずか。そろそろ昼寝の癖から脱却せねば。関係ないけど、阪神がんばれよ。




2005ソスN8ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2782005

 ちらつく死さへぎる秋の山河かな

                           福田甲子雄

年の四月に亡くなった作者が、昨秋の入院時に詠んだ句である。こういう句は、観念では作れない。胃のほとんどを切除するという大手術であったようだ。「切除する一キロの胃や秋夜更く」。掲句の「ちらつく死」はもとより観念ではあるけれど、そういうときだったので、より物質的な観念とでも言おうか、まったき実感としておのれを苛んだそれだろう。そうした実感,恐怖感を「秋の山河」が「さへぎる」と言うのである。このとき「さへぎる」とは、ちらつく死への思いを消し去るということではなく,文字通りに立ちふさがるという意味だろう。悠久の山河を目の前にしていると,束の間自分が死んでしまうことなどあり得ないような気がしてくる。昨日がそうであったように、今日もそしてまた明日も、自分の生命も山河のようにつづいていくかと思われるのだ。だが、山河は悠久にして非情なのだ。そんな一瞬の希望を、簡単にさえぎって跳ね返してくる。すなわち、山河を見やれば見やるほど,ちらつく死の思いはなおさらに増幅されてくるということだろう。怖い句だ。いずれ私にも,実感としてこう感じる時期が訪れるのだろうが、そのときに私は耐えられるだろうか。果たして,正気でいられるかどうか、まったく自信がない。そう考えると、あらためて作者の精神的な強さに驚かされるのである。合掌。遺句集『師の掌』(2005)所収。(清水哲男)


August 2682005

 母許や文武百官ひきつれて

                           鈴木純一

季句。「母許」は「ははがり」と読む。「許(がり)」は「(カアリ(処在)の約カリの連濁。一説に、リは方向の意) 人を表す名詞や代名詞に付いて、または助詞『の』を介して、その人のいる所へ、の意を表す。万葉集14『妹―やりて』。栄華物語浦々別『夜ばかりこそ女君の―おはすれ、ただ宮にのみおはす』[広辞苑第五版]。掲句は要するに、権力の座にすわった男が,文武百官をひきつれて母親の許(もと)にご機嫌伺いに戻ったというのであるが、なんとなく現今の二世議員を想像させられて可笑しい。「私はこんなに出世しましたよ、お母さん」というわけだ。でも、微笑ましいと思ってはいけないだろう。なにしろ文武百官をひきつれての里帰りだから,当然この間の政治的空白は免れないからだ。父の選挙地盤を受け継ぎ,その父を実質的に仕切っていた母に頭の上がらぬ男の幼児性は、私たちが知っている権力者の誰かにも当てはまりそうで、冷や冷やさせられる。そしてまた、この文武百官たる連中がことごとくイエスマンであることも困りもの。中国の「鹿をさして馬と為す」の故事を持ち出すまでもなく、意見の相違する者を排除してゆく姿勢は、案外と子供っぽい人間性に存するというのが私の見方だ。「鹿」を「馬」だと言い張った権力者・趙高と、嘘と知りつつそれに従った百官たちもろとも、始皇帝亡き後の秦があっという間に滅んでしまったのはご承知の通りである。『平成物語 オノゴロ』(2005・豈叢書2)所収。(清水哲男)


August 2582005

 汝が好きな葛の嵐となりにけり

                           大木あまり

語は「葛(くず)」で秋。「葛の花」は秋の七草の一つだが、掲句は花を指してはいない。子供の頃の山中の通学路の真ん中あたりに、急に眺望の開ける場所があった。片側は断崖状になっており、反対側の山の斜面には真葛原とまではいかないが、一面に葛が群生していた。そこに谷底から強い風が吹き上がってくると,葛の葉がいっせいに裏返ってあたりが真っ白になるのだ。葛の葉の裏には,白褐色の毛が生えているからである。大人たちはこの現象を「ウラジロ」と言っていて、当時の私には意味がわからなかったけれど、後に「裏白」であると知った。壮観だった。古人はこれを「裏見」と称し「恨み」にかけていたようだが、確かにあれは蒼白の寂寥感とでも言うべき総毛立つような心持ちに、人を落し込む。子供の私にも,そのように感じられたが、嫌いではなかった。「全山裏白」と,詩に書きつけたこともある。ところで、掲句の「葛の嵐」が好きな「汝」とはどんな人なのだろう。この句の前には、「身に入むと言ひしが最後北枕」、「恋死の墓に供へて烏瓜」の追悼句が置かれている。となると、「汝」はこの墓に入っている人のことだろうか。だとすれば、墓は葛の原が見渡せる場所にあるというわけだ。無人の原で嵐にあおられる裏白の葛の葉の様子には、想像するだに壮絶な寂しさがある。それはまた、作者の「汝」に対する心持ちでもあるだろう。「俳句」(2005年9月号)所載。(清水哲男)




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