台風なおも接近中。近隣では法師蝉が鳴きはじめました。秋へ秋へと季節は移りつつ…。




2005年8月24日の句(前日までの二句を含む)

August 2482005

 帰省子の鞄に入れる針と糸

                           松田吉憲

針と糸
語は「帰省」で夏。最近、チャップリンの『ライムライト』を見る機会があった。クライマックス近く,舞台袖の大道具の陰で踊り子の成功をひざまずいて祈るシーンがある。通りかかった大道具係が見とがめると,「なにね、ボタンが落ちちゃったもんで」と誤摩化してやり過ごした。なんでもないようなシーンだが,私は「ああ」と思った。そうだった。糸が粗悪だったせいで、昔のボタンは実に簡単に落ちたものだった。だからこういうシーンも成立したわけで,現在ではこの言い訳にはかなり無理があるだろう。そんな具合だったから、私の学生時代に「針と糸」は必需品だった。男でも,ちょっとした糸かがりやボタンつけは誰でもできた。掲句は,そろそろ「帰省子」が大学に戻るための準備をはじめていて、忘れないようにと親が早めに「針と糸」を鞄にそっと入れてやっている図だ。この親心。句としてはいささか平凡だけれど、あの時代を正確に反映しているところに注目した。「針と糸」といえば、もう三十年も昔のことも思い出す。仕事でラスベガスのホテルに滞在したことがあって、部屋に入ったらベッドサイドのデスクの上に写真のサービス品が置いてあった。一瞬マッチかなと思って手に取ってみると,これがまあなんと「針と糸」だったのには驚いた。ホテルは当時,超一流と言われた「シーザース・パレス」である。私などは例外として,まず大金持ちしか泊まらない。だから、どうにも「針と糸」はそぐわないのだ。金持ちは細かい出費にシビアだというから、案外,部屋でボタンつけなどやっていたのかもしれないけれど……。記念に持ち帰ってきたのだが、いまだに謎は謎のままである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 2382005

 壯年すでに斜塔のごとし百日紅

                           塚本邦雄

語は「百日紅(さるすべり)」で夏。作者は、歌人の塚本邦雄である。いまを盛りと百日紅が咲いている。よく樹を見ると,がっしりとしてはいるが「斜塔」のように少し傾(かし)いでいるのだろう。その様子を、生命力盛んな人間の「壯年」の比喩に見立てた句だ。すなわち、最高度の充実体のなかに「すでに」滅びの兆しが現われているのを見てしまったというわけで、いかにも塚本邦雄らしい感受性が滲み出ている。掲句は、たとえば彼の短歌「鮎のごとき少女婚して樅の苗植う 樅の材(き)は柩に宣(よ)し」に通じ,またたとえば「天國てふ檻見ゆるかな鬚剃ると父らがけむる眸(まみ)あぐるとき」に通じている。加えて「斜塔」のような西洋的景物を無理無く忍び込ませているのも塚本ワールドの特長で,無国籍短歌とも評されたが、塚本の意図はいわゆる日本的な抒情のみに依りすがる旧来の短歌や俳句を否定することにあった。この感覚に若い読者が飛びつき,エピゴーネン的実作者が輩出したのも当然の流れだったと言うべきか。塚本は言った。「同じ歌風を全部が右へならえして、一つの結社でチーチーパッパとやっている神経が,どうしてもわかりません。練習期間が過ぎてもまだ師匠と同じように歌っていることに疑問を感じないのは,一種の馬鹿じゃないかと思う。だから、いつまでも私の真似をする人もきらいなんです」。現代詩手帖特集版『塚本邦雄の宇宙 詩魂玲瓏』(2005)所載。(清水哲男)


August 2282005

 向日葵に大学の留守つづきおり

                           鈴木六林男

語は「向日葵(ひまわり)」で夏。「大学の留守」、すなわち暑中休暇中の大学である。閑散とした構内には,無心の向日葵のみが咲き連なっている。まだまだ休暇はつづいてゆく。向日葵が陽気な花であるだけに、学生たちのいない構内がよけいに寂しく感じられるということだろう。そして元気に若者たちが戻ってくる頃には,もう花は咲くこともないのである。私も学生時代に、一夏だけ夏休みに帰省せず,連日がらんとした構内を経験した。向日葵は植えられてなかったと思うが,蝉時雨降るグラウンド脇をひとりで歩いたりしていると、妙に人恋しくなったことを覚えている。誰か一人くらい、早く戻ってこないかな。と、その夏の休暇はやけに長く思われた。これには九月に入っても、クラスの半分くらいは戻ってこなかったせいもある。ようやくみんなの顔が揃うのは,月も半ば頃だったろうか。むろん夏休みの期間はきちんと決まってはいたけれど、そういうことにはあまり頓着なく、なんとなくずるずると休暇が明けていくのであった。そのあたりは教える側も心得たもので、休暇明け初回の授業の多くは休講だったような覚えがある。大学で教えている友人に聞くと,いまではすっかり様変わりしているらしい。学生はきちんと戻ってくるし,休講などとんでもないという話だった。大学も世知辛くなったということか。『王国』(1978)所収。(清水哲男)




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