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August 2182005

 仰ぎ見て旱天すがるなにもなし

                           石原舟月

語は「旱天(かんてん)」で夏、異常とも言える日照りつづきの空のこと。「旱(ひでり)」に分類。報道によれば,早明浦ダム(高知県)の貯水率が19日(2005年8月)午後8時に0%になり、ダムに残された発電用水の緊急放流が始まった。水道水の半分を同ダムの水に頼っている香川県では現在、高松市など5市13町が、水を出にくくする減圧給水を実施している。いまのところ、まとまった雨は予想されていない。全く雨が降らなかった場合、発電用水も約1カ月で底をつくという。隣県の徳島でも事態は深刻化しており,お住まいの皆さんは、まさに掲句の作者のような気持ちでおられるだろう。お見舞い申し上げます。私の経験した大渇水は1964年(昭和三十九年)の東京のそれで、目前に東京五輪を控えていたため「オリンピック渇水」の異名がある。急激な人口膨張と建築ラッシュも一因だったろうが、とにかく雨が降ってくれず,表に出れば空を見上げてばかりいたことを思い出す。当時の東京都知事は、戦後二代目の東龍太郎。彼が渇水に何ら有効なテを打たないのは,自分の家に井戸があるからさ。そんなまことしやかな陰口もささやかれていた。台風でも来てくれないかと、真剣に願ったものである。まさに「旱天すがるなにもなし」の思い……。自然のパワーには、抗しがたし。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 2872011

 ことごとく髪に根のある旱かな

                           奥坂まや

かに髪にはことごとく毛根がある。しかし日常モードで使われる毛根は「毛根にチカラ」とか「毛根を強くする」なんてヘアケア用語のレベルにとどまっているように思える。それが、「髪に根のある」とことさらの表現に「旱」が続くと、水のない白く乾ききった大地にしぶとい根を張る植物のイメージと毛根が重なり合う。それとともに、ことごとく根のある黒髪をみっしりと頭にいただく鬱陶しさと、物を涸れつくす「旱」の白く乾いた眩しさが思われる。相反する要素が暑さという共通項で繋がり「かな」という切れでくっきりと印象づけられる。こうした句を読むと、なだらかに読みくだす十七音に置かれた言葉の配列の妙を感じずにはいられない。『妣の国』(2011)所収。(三宅やよい)


August 2782012

 人人よ旱つづきの屋根屋根よ

                           池田澄子

いかわらずの旱(ひでり)つづきで、げんなりしている。冷房無しのせいあるが、団扇片手に昼寝をきめこんでもあまり眠れず、なんだか「ただ生きているだけ」みたいな感じだ。この句は、みんながまだ冷房の恩恵に浴していなかった昔の情景を思い起こさせる。小津安二郎が好んで描いた東京の住宅街は、まさにこんなふうであった。ビルもそんなにはなく、「屋根屋根」は平屋か二階建ての瓦屋根だ。それらが夏の日差しのなかにあると、嫌でも脂ぎったような発色となり、ますます暑い気分が高じてくる。白昼ともなれば、往来には人の影もまばらだ。「人人」はいったいどうしているのかと、ついそんなことが気になってしまうのだった。それでもどこの「家家」の窓も開いているから、ときおりどこからかラジオの音が流れてきたりする。ああ「人人」は健在だなと、ほっとしたりしたのも懐かしい。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


July 2972016

 飛ぶ鳥の腋平らなり朝曇

                           櫛原希伊子

日様の窓を開けると鳥が飛んでいる。翼をいっぱいに広げて飛んでいるので腋がぴんと平らに張られている。折しもの朝曇り、さして眩しくも無い空の色がしっくりと目に馴染む。来し方も平凡、行く末もそうありたいなどとふと思う。ワタシも随分遠くまで飛んできたものだが、思い残す事もさしてないなあ。などと清々しい気分で空を眺めている。今日も斯く安らかな命の一時を得て、お茶がことさら美味しい。他に<目にふれるものことごとく旱石><宇や宙や土用入りなる作法あり><のどぶえの湿りほどほど天の川>など。俳誌「百鳥」(2014年10月号)所載。(藤嶋 務)




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