某政党の幟をかついだ三人組がやってきて、玄関先でがなり立てていった。やれやれ…。




2005ソスN8ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2182005

 仰ぎ見て旱天すがるなにもなし

                           石原舟月

語は「旱天(かんてん)」で夏、異常とも言える日照りつづきの空のこと。「旱(ひでり)」に分類。報道によれば,早明浦ダム(高知県)の貯水率が19日(2005年8月)午後8時に0%になり、ダムに残された発電用水の緊急放流が始まった。水道水の半分を同ダムの水に頼っている香川県では現在、高松市など5市13町が、水を出にくくする減圧給水を実施している。いまのところ、まとまった雨は予想されていない。全く雨が降らなかった場合、発電用水も約1カ月で底をつくという。隣県の徳島でも事態は深刻化しており,お住まいの皆さんは、まさに掲句の作者のような気持ちでおられるだろう。お見舞い申し上げます。私の経験した大渇水は1964年(昭和三十九年)の東京のそれで、目前に東京五輪を控えていたため「オリンピック渇水」の異名がある。急激な人口膨張と建築ラッシュも一因だったろうが、とにかく雨が降ってくれず,表に出れば空を見上げてばかりいたことを思い出す。当時の東京都知事は、戦後二代目の東龍太郎。彼が渇水に何ら有効なテを打たないのは,自分の家に井戸があるからさ。そんなまことしやかな陰口もささやかれていた。台風でも来てくれないかと、真剣に願ったものである。まさに「旱天すがるなにもなし」の思い……。自然のパワーには、抗しがたし。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2082005

 だけどこの子は空襲で死んだ草

                           小川双々子

季句だが、夏を思わせる。「空襲」ののちの敗戦は、折りしも「草」生い茂る夏のことだったからだろう。掲句を含む連作「囁囁記」のエピグラフには、旧約聖書「イザヤ書」の次の一節が引かれている。イザヤは、キリスト生誕の700年以上前に登場した預言者だ。「人はみな草なり/その麗しさは、すべて野の花の如し/主の息その上に吹けば/草は枯れ、花はしぼむ。/げに人は草なり、/されど……」。すなわち「囁囁記」の諸句は、このイザヤの言の「されど……」を受けたかたちで展開されている。なかでも掲句は,「されど」を「だけど」と現代口語で言い直し,言い直すことで、草である人の現代的運命の悲惨を告発している。「子」は小さい子供というよりも、「神の子」たる人間のことを指しているのではなかろうか。作者の父親は空襲の際、防空壕のなかで窒息死している。その父親がまず,作者にとっての「この子」であると読むのは自然だろう。たとえそうした背景を知らなくても,引用されたイザヤの言葉を頭に入れていれば、「子」が「空襲で死んだ」個々人に及んでいると読めるはずである。ちなみにイザヤ書の「されど……」以下の部分は、こうだ。「我らの神の言葉は永遠に立つ」。キリスト者である作者はこの言を受け入れつつも,しかしなお「だけど」と絞り出すようにして書きつけている。やがては枯れる運命も知らぬげに、いま盛んな夏草の一本一本が,掲句によってまことにいとおしい存在になった。『囁囁記』(1998・1981年の湯川書房版を邑書林が再刊)所収。(清水哲男)


August 1982005

 晩夏の旅家鴨のごとく妻子率て

                           北野民夫

語は「晩夏(ばんか)」で夏。夏の末。暑さはまだ盛りだが,どことなく秋の気配がしのび寄りはじめる。見上げると,空には入道雲にかわってうろこ雲がたなびいている。作者の名前をはじめて知ったのは,大学生のときだった。細々と投稿をつづけていた「萬緑」(中村草田男主宰)には、現在の主宰である成田千空をはじめ、香西照雄、平井さち子、花田春兆、磯貝碧蹄館などの錚々たる同人が並んでおり,北野民夫もその一人であった。しかも、この人の名は雑誌の奥付にもあった。つまり作者は,「萬緑」の発行元「みすず書房」社主でもあったわけだ。したがって業務多忙ということもあったろうが、社員をさしおいて社長が先に夏休みをとるわけにもいかず、やっと休暇がとれたころは既に晩夏だったというわけだ。子供らにせがまれたのだろう。人並みに行楽地に家族旅行と洒落込んではみたものの、もう人出のピークはとっくに過ぎていて,かなり閑散としている。人出が盛んなら当たり前に見える家族連れが、やけに目立つように感じられてならない。「妻子率て」歩いているうちに,なんだか自分たち一家がひょこひょこと連れ立つ「家鴨」の集団のように思えてきて,苦笑いしている。「率て」は「ひきいて」だろうが、字余りを嫌うのなら「いて」の読みも可能だ。が、音読の際に意味不明になるのが悩ましいところ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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