郵政民営化をもう一度。これが小泉の総選挙目標。どれほどの自民勢がついていくかな。




2005年8月9日の句(前日までの二句を含む)

August 0982005

 まろび寝に氷菓もたらす声にはか

                           堀口星眠

語は「氷菓(ひょうか)」。アイスキャンデーやアイスクリームなど、夏の氷菓子の総称。暑い日の昼下がり,寝ころんでうとうとしていると、家人から「にはか」の声がかかった。アイスキャンデーを買ってきたから,すぐに起きて来なさいと言う。いまでこそ、冷凍庫に保管しておいて後で食べるテもあるけれど、冷蔵庫の無い時代はそうは行かなかった。買ってきたらすぐに食べないと,たちまち溶けてしまう。待った無し、なのである。だから気持ちよげに昼寝をしている人であろうが、無理にでも起こさなければならなかった。しかしこういう場合には,急に起こされた側も悪い気はしないものだ。機嫌良く「おっ」と跳ね起きて,既に少し溶けかけて滴っているバーを手にするのも、真夏ならではの楽しいひとときだったと言える。それにつけても毎夏残念に思うのは,私が子供だったころのような固いアイスキャンデーが無くなってしまったことだ。出来たてはとくにカチンカチンで、少々のことでは歯が立たないほどだった。だからまず、しばらくしゃぶって柔らかくしたものだが、このときに舌にぴたっと氷が吸いついてくる感じも忘れられない。あの固さは多分、原料にミルクを使わなかった(高価で使えなかった)せいだろう。安物だったわけだ。が、私はいまのものより、数倍も美味かったと信じている。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


August 0882005

 夏よもぎ小さくちいさく無職と書く

                           青木貞雄

語は「夏よもぎ(夏蓬)」。春の若葉のころの蓬は可憐な感じがするが、夏になるとその面影もすっかり失せてしまう。獰猛と言いたくなるくらいに,荒々しく生長する。丈はぐんと高くなり、「蓬髪」という言葉があるほどに無秩序に茂りあい、その荒れ錆びた感じは凄まじい。作者はしかるべきところに提出すべく、書類を書いている。その窓辺から、群生する夏蓬が見えているのだろう。書類には職業を記載する欄があるのだが、気恥ずかしくて「無職」と書くのが躊躇され、しかし書かないわけにもいかなくて「小さくちいさく」書いたのだった。放埒に繁茂している「夏よもぎ」と、小さく萎縮している「無職」の文字との取り合わせが,作者の切ない心境をよく写し出している。書類とは不思議なもので、あれには記載してみてはじめて感じられる事どもがある。たとえば自分の年齢にしても,日頃から百も承知の年齢を書類に記入した途端に,なんだか自分の年齢じゃないように思えてくることがある。おそらくそれは、社会が他人と区別するために自分に当てている諸種の物差しを,自分が社会の目で自身に当てさせられることに起因するのだろう。だから年齢の欄に年齢を記入するとは,その数字は社会的にしか意味がないので,自分が自分であることとはさして関係のない行為だと言える。職業があろうとなかろうと、これまた自分が自分であることとは無関係だ。それが書類を書くことで社会の目を意識させられると、作者のように無職を気恥ずかしく思わされてしまうのである。そういうことではあるまいか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 0782005

 今朝秋のよべを惜みし灯かな

                           大須賀乙字

日は、早くも立秋である。季語は「今朝(の)秋」。立秋の朝を言う。作者は、早暁に目覚めた。「灯(ともし)」は街灯だろうか、それともどこかの家の窓の灯火だろうか。いずれにしても、「よべ」(昨夜)から点いていたものだ。そして今日が立秋となれば、その灯は今年最後の夏の夜を見届けたことになり,「今朝秋」のいまもなお、去って行った夏を惜しむかのように点灯していると見えるのである。昨夜までで消えた夏を言い、立秋に一抹の哀感を漂わせた詠みぶりが斬新だ。「そもそも詩歌製作後の吾等感情は一種解脱的の味ひである。然るに俳句は製作に取り掛る時は既に解脱的寂滅的調和の感情に到達して居る」と乙字の俳論にあるが、みずからの論を体現し得た佳句と言えよう。ところで掲句は掲句として,例年のことながら,立秋は猛暑の真っ只中に訪れる。毎年立秋を迎えると,どこに秋なり秋の気配があるのかと、ぼやくばかりだ。一茶に「けさ秋や瘧の落ちたやうな空」(「瘧」は「おこり」)があるけれど、なかなかそううまい具合には、自然は動いてくれない。それでも人間とは面白いもので、そう言えば朝夕はかなり涼しくなってきたような……などと、懸命に秋を探してまわったりするのである。「立秋と聞けば心も添ふ如く」(稲畑汀子)。このあたりに、私たちの本音があるのだろう。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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