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2005ソスN7ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2572005

 艶めくや女男と冷蔵庫

                           村岸明子

語は「冷蔵庫」で夏。むっ、こりゃ何だ。ぱっと読んだだけでは、わからなかった。雑誌などでたくさんの句を流し読んでいるうちに、そんな思いで目に引っかかってくる作品がある。わからないのなら飛ばしてしまえばよいものを、気にかかったまま次へと読み過ごすのも癪なので、たいていはそこで立ち止まって考える。そんな性分だ。いや、損な性分かな。掲句もその一つで、しばし黙考。なかなか解けないので、煙草に火をつける。と、やがて紫煙の向うから、この女と男の情景がぼんやりと姿を現してきた。そうか、そういうことなのか……。なるほど「艶めく」はずである。現われた情景は、電化製品売り場だった。そこで、若いカップルが「冷蔵庫」を選んでいる。ただそれだけの図なのだが、通りかかった作者には、その「女」が妙に艶めいて見えたのだった。これがたとえば書籍売り場だったりしたら、そういうふうには見えないだろう。冷蔵庫は、生活のための道具である。つまり、生活の匂いがある。それを二人で選んでいるということは、二人が同じ家で共に暮らそうとしているか、既に暮らしている事を前提にしているわけだ。だから、他の場所だったら何気なく見逃してしまうはずの見知らぬ「女」に目が行き、表情の微細な「艶」までを読み取ったのである。冷蔵庫を二人で選ぶという行為には、公衆の面前ながら、そこからもう二人きりの生活がはじまっていると言ってもよい。女性が艶めくのも、当然といえば当然だろう。句として少々こなれが悪いのは残念だけれど、突いているポイントは鋭い。俳誌「貂」(2005年8月・第119号)所載。(清水哲男)


July 2472005

 蝉時雨一分の狂ひなきノギス

                           辻田克巳

ノギス
語は「蝉時雨(せみしぐれ)」で夏。近着の雑誌「俳句」(2005年8月号)のグラビアページに載っていた句だ。作者の主宰する「幡」15周年を祝う会が京都であり、その集合写真に添えられていた。私は俳人にはほとんど面識がないこともあり、こういうページもあまり見ないのだが、たまたま面白いアングルからの写真だったので目が止まったというわけだ。最前列の中央の作者からなんとなく目を流していたら、いちばん右側に旧知の竹中宏(「翔臨」主宰)が写っていて、懐かしいなあとしばし豆粒のような彼の顔を眺めていた。まあ、それはともかく、この「ノギス」もずいぶんと懐かしい。簡単に言えば、物の長さを測定する道具だ。外径ばかりではなく、段差やパイプの内径とか深さなども測れる。父親が理工系だった関係から、ノギスだの計算尺だの、あるいは少量の薬品などの重さを量る分銅式の計量器だのが、子供の頃から普通に身辺にあった。それらを私はただ玩具のように扱っただけだけれど、どういうものかは一応わかっているつもりだ。蝉の声が降り注ぐ工場か、あるいは何かの研究室か。ともかく暑さも暑し、注意力や集中力が散漫になりがちな環境のなかで、作者(だと思う)は「一分の狂ひ」もないノギス(精度は0.05ミリないしは0.02ミリ)を使って仕事をしている。測っていると、汗が額や目尻に浮かんでくる。それを拭うでもなく、一点に集中している男の顔……。変なことを言うようだが、「カッコいい」とはこういうことである。良い句だなあ。(清水哲男)


July 2372005

 定年の無位のアロハの涼しけれ

                           久本十美二

語は「アロハ」で夏、「夏シャツ」に分類。古い歳時記を読む楽しみの一つは、当該項目の解説に、発刊されたころの時代性を感じることだ。掲句を例句として掲げた新潮文庫版(初版・1951年)には、こうある。「夏着るシャツの一種。派手な模様のある半袖シャツで、裾を短くズボンの上に垂らして着る。ホノルルの中国人が発案し、ハワイで流行したのがアメリカにも移り、戦後日本に入ってきた。若者たちは夏になると盛んに愛用し、また家庭着、海辺着としても人気を博している」。戦後間もなくの記述のようだが、着方まで書いてあるところが微笑ましい。多くの人はまだ、写真や映画では知っていても、実物を見たこともなかったころだったのだろう。実際、私がアロハの実物を初めて見たのも、ずいぶん遅かったような記憶がある。そんな流行の最先端をいっていたアロハを、若者ならぬ定年を迎えた作者が着ている。いま読むとたいした句には思えないけれど、当時はこのことだけでも「おっ」と思わせたにちがいない。もはや「無位(むい)」となった身のせいせいした様子が、まことに涼しそうに伝わってくる。男が派手なシャツを着るなどは、まだ世相に馴染まなかった時代でもあったから、作者は相当に気が若い。と何気なく書いたところで、はっと気がついた。今でこそ定年は六十歳くらいだが、昔は五十歳から五十五歳が普通だったことに……。つまり、作者の実年齢は五十代前半だということになり、現今の定年者よりもだいぶ若かったわけで、となると掲句のイメージをどう修正したらよいのか。よくわからなくなってきた。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫改訂版)所載。(清水哲男)




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