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July 1172005

 生きていることの烈しき蛸つかむ

                           吉田汀史

国で育ち、あとは都会でしか暮らしたことがないので、海のものにはほとんど無知である。掲句の季語を迷いなく「蛸(たこ)」で夏期ととってしまったのも、その証拠のようなものだ。念のためにと思い手元の歳時記にあたってみたところ、季語「蛸」が見当たらないのには愕然とした。「迷いなく」思い込んでいたのは、どうやら芭蕉の有名な「蛸壺やはかなき夢を夏の月」が頭にあったからのようだ。だが、この句でも蛸は季語ではない。ただし調べてみると、蛸の水揚げ量が最も多いのは産卵期にあたる春から夏にかけてだそうだから、徳島在住の作者にとっての蛸漁は、春ないしは夏のイメージなのだろうと推察した次第だ。そんなふうだから、私はもちろん生きた蛸をつかんだことはない。けれども、掲句の言わんとするところはよくわかる。もはやぐたっとなっているかに見えた蛸をつかんだら、想像以上予想外の強力な「抵抗」にあい、たじたじとなると同時に、生命あるものの激しさに畏怖を覚えたのだった。私がそのことを肝に銘じたのは、中学一年のときだったろうか。教室で野ウサギの解剖をしている最中に、麻酔の切れたウサギが猛然と暴れ出したことがあった。思い出すだに冷たい汗の出てくる体験だが、生命の力とは強いものだ。だからこそ逆に、いざ生命が失われてみると、そのはかなさがより強く印象づけられるのだろう。俳誌「航標」(2005年7月号)所載。(清水哲男)

[ 訂正というか…… ]読者からのご教示もあり調べたところ、夏の季語に「蛸」を採用している歳時記がいくつかあることがわかりました。平凡社版、学研版、講談社版など。当歳時記は角川版(ときに河出版)に準拠しており、同版にはないのですが、作者の句風からみて「蛸」を季語としたほうが妥当と考え、夏期に分類することにしました。同様の問題はたまに出現し、悩まされるところです。


June 2262013

 わが足のああ堪えがたき美味われは蛸

                           金原まさ子

元の歳時記には「蛸」は載っていないが、今が旨いよ、と魚売り場のおじさんが言ったなあ、と思ったら、夏季に掲載されている歳時記もあるという。知能が高いゆえなのか、足を食べるのはストレスからだそうだが、ああもう限界、という感じなのだろうか、その瞬間の鮹の気持ちになると切ない。そう思っていたら、耐えがたき美味であるという、これはさらに切ない。その痛みに我に返りながらも、耐えがたいほど美味であったら、そう考えると抜け出せない自己矛盾に陥ってゆくだろう。もし自分自身を食べ続けてしまったら、最後は何が残るのか。子供の頃満天の星空を見上げながら、この中のいくつがリアルタイムで存在しているのか、と思った瞬間にも似たぞわぞわ感に襲われる。『カルナヴァル』(2013)所収。(今井肖子)




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