新聞休刊日。意義は認めるが,一般紙各紙がいっせいに横並びの休刊はどうも解せない。




2005ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1172005

 生きていることの烈しき蛸つかむ

                           吉田汀史

国で育ち、あとは都会でしか暮らしたことがないので、海のものにはほとんど無知である。掲句の季語を迷いなく「蛸(たこ)」で夏期ととってしまったのも、その証拠のようなものだ。念のためにと思い手元の歳時記にあたってみたところ、季語「蛸」が見当たらないのには愕然とした。「迷いなく」思い込んでいたのは、どうやら芭蕉の有名な「蛸壺やはかなき夢を夏の月」が頭にあったからのようだ。だが、この句でも蛸は季語ではない。ただし調べてみると、蛸の水揚げ量が最も多いのは産卵期にあたる春から夏にかけてだそうだから、徳島在住の作者にとっての蛸漁は、春ないしは夏のイメージなのだろうと推察した次第だ。そんなふうだから、私はもちろん生きた蛸をつかんだことはない。けれども、掲句の言わんとするところはよくわかる。もはやぐたっとなっているかに見えた蛸をつかんだら、想像以上予想外の強力な「抵抗」にあい、たじたじとなると同時に、生命あるものの激しさに畏怖を覚えたのだった。私がそのことを肝に銘じたのは、中学一年のときだったろうか。教室で野ウサギの解剖をしている最中に、麻酔の切れたウサギが猛然と暴れ出したことがあった。思い出すだに冷たい汗の出てくる体験だが、生命の力とは強いものだ。だからこそ逆に、いざ生命が失われてみると、そのはかなさがより強く印象づけられるのだろう。俳誌「航標」(2005年7月号)所載。(清水哲男)

[ 訂正というか…… ]読者からのご教示もあり調べたところ、夏の季語に「蛸」を採用している歳時記がいくつかあることがわかりました。平凡社版、学研版、講談社版など。当歳時記は角川版(ときに河出版)に準拠しており、同版にはないのですが、作者の句風からみて「蛸」を季語としたほうが妥当と考え、夏期に分類することにしました。同様の問題はたまに出現し、悩まされるところです。


July 1072005

 お流れとなりし客間の日雷

                           澁谷 道

語は「日雷(ひかみなり・ひがみなり)」で夏、「雷」に分類。晴天時にゴロゴロッと鳴って、雨を伴わない雷だ。我が家にそんなスペースはないけれど、「客間」というのは普段は使うことのない部屋である。だから、いざ来客があるとなると、窓を開けて空気の入れ替えをしたり掃除をしたり、それなりに花を活けたりなどといろいろ準備をすることになる。それが先方のよんどころない事情のために、急に来られなくなってしまった。「お流れ」である。迎える準備をしただけではなく、とても楽しみにしていた来訪だったので、作者はがっかりしている。拍子抜けした目で客間を見回しているうちに、ときならぬ雷鳴が聞こえてきた。思わず外に目をやるが、よく晴れていて降りそうな気配もない。妙な日だな。立ちつくした作者に、そんな思いがちらりとよぎる。このときに「お流れ」と「日雷」は何の関係もない。ないのだが、この偶然の雷鳴は作者のがっかりした気持ちの、いわば小さな放心状態を増幅し補強することになった。つまり、ここでの雷鳴はドラマのBGMのような効果をもたらしているのである。人生に映画のようなBGMがあったら、どんなに面白いかと夢想することがあるが、私にこの句は、偶然の音を捉えて、そんな夢想の一端を現実化してみせたもののように写る。「俳句研究」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


July 0972005

 遠雷や別れを急くにあらねども

                           吉岡桂六

語は「遠雷」で夏、「雷」に分類。喫茶店だろうか。いつしか熱心に話し込んでいるうちに、ふと遠くで雷が鳴っているのに気がついた。表を見ると、それまでは晴れていた空がすっかり暗くなっている。降り出すのも、時間の問題だ。まさか降るとは思わないので、相手も自分も傘を持ってきていない。それからは、お互いに気もそぞろ。話はまだ途中なのだが、遠雷のせいで、心持ちはだんだん中腰になっていく。といって時間はまだ早く、べつに「別れを急(せ)く」必要はないのだけれど、ずぶぬれになるかもしれぬイメージが先行して、なんとなく落ち着かないのだ。よほど親しい間柄なら、止むまでここでねばろうかと腹をくくるところだが、そういう相手でもないのだろう。それに、相手にはこの後の予定があるかもしれない。などと口には出さないが、お互いにお互いの不確かな事情を思いやって、こういうときには結局、どちらからともなくぐずぐずと立ち上がってしまうものだ。話が面白かっただけに、別れた後にしばし残念な気持ちが残る。で、これで夕立が来なかったとなればなおさらに後を引く。誰にでも、そんな経験の一度や二度はあるだろう。そうした日常の地味な人情の機微を、さりげない手つきで巧みに捉えた佳句だ。俳句でないと、この味は出ない。『東歌』(2005)所収。(清水哲男)




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