郵政法案衆院本会議通過。5票差だから3人の差。参院では厳しそうだし廃案の可能性大。




2005ソスN7ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0672005

 寝不足にやや遠ざけし百合の壺

                           能村研三

語は「百合」で夏。「寝不足」がたたって、体調がよろしくない。それでなくとも百合の花の芳香は強いから、こういうときにはいささかうとましく感じられるものだ。そこで、飾ってある壺を少しだけ遠ざけたと言うのである。花粉が飛び散らないように、そろそろっと壺を押しやっている作者の手つきまでが見えるようだ。このように、体調如何によって人の感覚は微妙に変化する。その昔の専売公社の宣伝に「今日も元気だ、煙草がうまい」というのがあったが、これなどもそのことをずばりと言い当てた名コピーだろう。だから、誰にとっても常に美しかったり常に美味かったりする対象物はあり得ないことになる。すべての感覚は、体調や、それに多く依拠している気分や機嫌の前に、相対的流動的なのであって定まることがない。ただ哀しいかな、私たちがそのことを理解できるのは体調不良におちいったときのみで、いったん健康体に戻るや、けろりと「永遠絶対の美」などという観念に与したりするのだから始末が悪い。飛躍するようだが、テレビなどという媒体は、視聴者が全員元気であることを前提にしている。したがって、身体的弱者や社会的弱者へのいたわりの気持ちが無い。早朝から天気予報のお姉さんがキャンキャン言い募るのも、視聴者がみな熟睡して爽快な気分で目覚めていると断定していることのあらわれで、句の作者のような状態ははじめから勘定の外にあるわけだ。やれやれ、である。『滑翔』(2004)所収。(清水哲男)


July 0572005

 輪唱の昔ありけり青嵐

                           平林恵子

語は「青嵐」で夏。「輪唱(りんしょう)」と聞いてすぐに思い出すのは、三部輪唱曲のアメリカ民謡「静かな湖畔で」だ。♪静かな湖畔の森の陰から もう起きちゃいかがとカッコウが鳴く……。戦後の一時期には、大いに歌われた。青嵐の季語から見て、作者の頭にもこの曲があったのかもしれない。どんな時代にも人は歌ってきたが、なかで輪唱が盛んだったのは、日本では敗戦から二十年ほどの間くらいだろうか。輪唱は一人では歌えない。その場の誰かれとの、いわば協同作業である。すなわち一人で歌うよりも、みんなで歌うほうが楽しめた時代があったのだ。かつての「歌声喫茶」は輪唱に限らないが、合唱や斉唱を含め、もっぱら複数で歌うことのできる場を提供することで、大ブレークしたのである。対するに、現在流行の「カラオケ」は一人で歌うことがベースになっている。私などにはこの差は、敗戦後の苦しい生活のなかで肩寄せあって生きていた時代とそうでなくなった時代とを象徴しているように思われてならない。戦後の庶民意識は60年を経るうちに、いつしか「みんなで……」から「オレがワタシが……」に完全に変質してしまったということだろう。このことへの評価は軽々には下せないけれど、清々しい青嵐に吹かれて一抹の寂しさと苦さとを覚えている作者には共感できる。俳誌「ににん」(2005年夏号・通巻19号)所載。(清水哲男)


July 0472005

 大衆にちがひなきわれビールのむ

                           京極杞陽

とより私もそうだが、たいていの人はこうした感慨を抱くことはない。いや、感慨以前の問題として、あらためて自分が「大衆」の一員であると強く意識させられることも、滅多にないだろう。しかし、世の中には少数ではあるが、作者のような人もいたわけだし、いまも何処かにはいる。以下の作者略歴(記述・山田弘子)が、そのまま句の解釈につながってゆく。京極杞陽(きょうごく・きよう)。「明治41年2月20日、東京市本所に、父高義(子爵)母鉚の長男として誕生。本名高光。豊岡藩主十四代当主(子爵)。大正9年学習院中等科に入学。大正12年9月、関東大震災により生家焼失、一人の姉を残し家族全員と死別。昭和3年東北帝大文学部に入るも一年で京都帝大文学部に移る。昭和5年東京帝大文学部倫理科に入学。昭和8年4月、大和郡山藩主(伯爵)柳沢保承長女昭子と結婚。昭和9年東京帝大卒業。11月、長男高忠誕生。昭和10年〜11年ヨーロッパに遊学。昭和11年4月渡欧中の高浜虚子歓迎のベルリン日本人会の句会で虚子と出会い生涯の師弟関係が生まれる。昭和12年宮内省式部官として勤務。11月「ホトトギス」初巻頭。昭和13年高浜年尾発行編「俳諧」に加わる。1月次男高晴誕生。(中略)。昭和18年2月五男高幸誕生。11月家族を郷里豊岡に疎開させ単身東京に残る。(中略)。昭和21年宮内省退職。昭和22年4月『くくたち・下巻』刊。5月新憲法により貴族院議員の資格を失う。11月山陰行幸の昭和天皇に拝謁。……」。掲句は、この後に生まれたのだろう。人は親を選べない。『俳句歳時記・夏の部』(1955)所載。(清水哲男)




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