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2005ソスN6ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2862005

 あなどりし四百四病の脚気病む

                           松本たかし

語は「脚気(かっけ)」で夏。ビタミンB1の不足が原因で起きる病気で、B1の消費量が多い夏場によく発症したので夏の季語とされた。「赤痢(せきり)」などとともに季語として残っているのは、よほどこの病気が蔓延したことのある証拠だ。もちろん、現在でも発症者はいる。「四百四病(しひゃくしびょう)」は疾病の総称。仏説に、人身は地・水・火・風の四大(しだい)から成り、四大調和を得なければ、地大から黄病、水大から痰病、火大から熱病、風大から風病が各101、計404病起るという。[広辞苑第五版]。要するに人間がかかりやすい病気ということだろうが、作者と同様、おおかたの人はそうしたポピュラーな病気を軽く考えてあなどっている。かかるわけはないし、仮にかかったとしても軽微ですむだろうくらいに思っているのだ。それも一理あるのであって、四百四病すべてに予防策をこうじていては身が持たない。真面目に取り組めば、そのことだけで神経衰弱にでもなってしまいそうだ。だから、あなどることもまた、生きていく上での知恵なのである。しかしそんな理屈はともあれ、実際に発症してしまうと、あわてふためく。何かの間違いであってくれればと、自分の油断に後悔する。掲句は、そんな自分のあわてふためきぶりに苦笑している図だ。めったには死に至らぬ病いだという、もう一つの「あなどり」のせいでどこか安心しているのでもある。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 2762005

 汗かき汗かき月曜はすぐ来たる

                           三木正美

語は「汗」で夏。まことにもって、おっしゃる通り。働く人には、すぐに「月曜」がやってくる。ただそれだけの句であるが、作者が月曜をうとましく思っていないところが良い。「ブルー・マンデー」なんて言葉もあるようだけれど、掲句にはむしろ月曜を待ちかねていた気持ちが込められている。「汗かき汗かき」という健康的なリフレーンが、そのことを暗黙のうちに語っているのだ。それも道理で、自注を見ると「主人の開業に伴い未知の医療の世界へ」とある。つづけて「毎日が汗ならぬ冷や汗の連続」と書かれてはいるが、この書きぶりにも新しい仕事に張り切って取り組んでいる様子がうかがえる。誰もがこんな気持ちで月曜の朝を迎えられれば良いのに、そこがなかなかそうはいかないのが浮き世の常だ。私など、月曜から金曜までの職場を止めて二年以上経っても、いまだに今日が月曜かと思うと、ギクッとしたりする。条件反射とでも言うのだろうか、長年の間に染み付いた月曜アレルギーは、そう簡単にはおさまってくれそうにない。思い返せば、月曜を張り切って迎えていたのは、サラリーマン生活の最初のうちだけだった。それこそ「未知の世界」への好奇心が溢れていて、休日なんぞは無ければよいのにと思っていたくらいだから、変われば変わったものだと苦笑させられる。若くて楽しかった遠い日々よ……。「俳句」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


June 2662005

 家中が昼寝してをり猫までも

                           五十嵐播水

語は「昼寝」で夏。この蒸し暑さで、例年より早く昼寝モードに入ってしまった。昼食後、すぐに一眠り。建設的な習慣はなかなか身につかないが、こういうことだとたちまち身になじんでしまう。心身が、生来無精向きにできているようだ。さて、掲句。まことに長閑で平和な情景だ。屈託のない詠みぶりとあいまって、解釈の分かれる余地はないだろう。気がつけば、自分を除いて「猫までも」が熟睡中だ。ならば当方もと、微笑しつつ作者も枕を引き寄せたのではあるまいか。ただし、人間を長くやっていると、こうした明るい句にもちょっぴり哀しみの影を感じるということが起きてくる。すなわち、長い家族の歴史の中で、このように一種幸福な状態は、そう長くはつづかないことを知ってしまっているからだ。そのうちに、いま昼寝をしている誰かは家を出て行き、誰かは欠けてゆく。家族の歴史にも盛りのときがあり、句の家族はまさに盛りの時期にあるわけだけれど、哀しいかな、今が盛りだとは誰もが気がつかない。後になって振り返ってみて、はじめてこの呑気な情景の見られたころが、結局は家族のいちばん良いときだったと思うことができるのである。切ないものですね。あなたのご家庭では、如何でしょうか。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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