放送の仕事を止めてから、若い人と話す機会がなくなった。話せば話したで疲れるけど。




2005ソスN6ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2462005

 冷房の大スーパーに恩師老ゆ

                           林 朋子

語は「冷房」で夏。長らく会うことのなかった「恩師」を、偶然にスーパーで見かけたのだろう。その人は、たぶん男性だ。「大スーパー」だから、二人の距離はだいぶ離れている。目撃しての第一印象は、「ああ、ずいぶんと歳をとられたなあ」ということであった。白髪が目立ち、姿勢も昔のようにしゃんとはしていない。近寄って挨拶するのも、なにかはばかられるような雰囲気である。スーパーでの男の買い物客は目立つ。とくに老人となると、よんどころなく買い物に来ているような雰囲気が濃厚で、気にかかる。妻や家族はいないのだろうか、あるいは病身の妻を抱えてるのだろうかなどと、むろん深く詮索するつもりもないのだが、ちらりとそんなことを思ってしまうのだ。ぎんぎんに冷房の効いた店内を、慣れない足取りで歩いている様子は、溌剌としていないだけに余計に年齢を感じさせるようなところがある。この後、作者はどうしたろうか。句の調子からして、ついに声をかけそびれたような気がするのだが……。これで見かけた場所が書店だったりすると、恩師もさまになっているので挨拶はしやすかっのだろうが、場所と人との関係は面白いものだ。ところで、私もたまにスーパーに買い物に行く。周囲の主婦たちのてきぱきとした動向に気を取られつつ、ついつられて余計なものを買ってしまったりする。目立っているのだろうな、おそらく私も。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


June 2362005

 噛めば苦そうな不味そうな蛍かな

                           辻貨物船

語は「蛍」で夏。たしかにねえ、そんな気はするけどね。作者の辻征夫(「貨物船」は俳号)にゲテモノ食いの趣味はなかったはずだから、この発想はどこから出てきたのだろうか。句会の兼題に「蛍」が出て困り果て、窮余の一策で新奇な句をねらったのかもしれないが、それにしても蛍を噛むとは尋常じゃない。でも、人間は長い歴史の中でたいていのものは口に入れてきただろうから、蛍だって実際に食べてみた奴がいたとは思う。あんなに目立つうえに採取しやすい虫が、貪欲な人間の標的にならなかったはずはないからだ。そのときの様子を想像することは、それこそ私の趣味じゃないので止めておくけれど、少なくとも掲句の作者はちらりとは噛んだ感じを想像したに違いない。たとえ軽い冗談のような気持ちでの作句だったにせよ、物を表現するとはそういうことだ。ほんのちっぽけな思いつきにもせよ、発想者は発想の自己責任を取らされてしまうのである。で、作者は想像のなかで吐き出した。変なことを思いついちゃったなと、苦い表情の作者が目に浮かぶ。蛍よりもイメージ的にはマシな「薔薇」を食べてみたのは、これまた詩人の吉原幸子だった。実際に花びらを味わおうとして食べたのだそうだが、「あんなもの、不味くて不味くて……」とチョー不愉快そうな顔つきで話してくれたっけ。そのときのことは彼女のエッセイにもあるはずだが、私は話だけで十分だったので読んでいない。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


June 2262005

 犀星の句の青梅に及ばねど

                           榎本好宏

語は「青梅(あおうめ)」で夏。「犀星の句の青梅」とは、おそらく有名な「青梅の尻うつくしくそろひけり」のそれだろう。いかにも女人礼賛者の室生犀星らしく、青梅の「尻」にも女性を感じて、ひそやかなエロティシズムを楽しんでいる。もっとも、この場合の女性は、童女と表現してもよいような小さな女の子だと思う。掲句の作者は、犀星句の青梅には及ばないにしてもと謙遜はしているが、かなりの出来映えに満足している様子だ。よく晴れた日、青葉の茂みを透かして見える青梅の珠はことのほか美しく、作者はうっとりと見惚れている。見惚れながら、犀星の青梅もかくやと思ったのだろう。が、そこをあえて一歩しりぞいて「及ばねど」と詠み、その謙遜がつまりは自賛につながるところが日本人の美学というものである。しかし日本人もだいぶ変わってきたから、この句を書いてある字義通りに、額面通りに受け取る人のほうが多いかもしれない。でもそう読んでしまうと、この句の面白さは霧散してしまうことになる。どこが面白いのかが、わからなくなってしまう。やはりあくまでも、心底での作者の気持ちは犀星の青梅と張り合っているのである。実は、我が家にも小さな梅の木があっていま実をつけているが、とても尻をそろえるほどに数はならないので、こちらは字義通りに及ばない。だから、無念にもこういう句は詠めない宿命にある(笑)。俳誌「件」(第四号・2005年6月)所載。(清水哲男)




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