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June 1562005

 句集読むはづかしさ弱冷房車

                           松村武雄

語は「冷房」で夏。電車のなかで、どんな読み物を読もうともむろん自由だ。だが、電車のなかも一つの世間であるから、車内には車内なりの世間体というものがあるし、やはり多少は気になる。新聞や週刊誌でも開くページが気になるし、文庫本でもあまりくだけた内容のものは避けたりする。つまり、車内の多くの人は世間を意識して読み物なりページなりを広げているのだ。だから、作者の言うように「句集」を読むのはちと恥ずかしい。なんとなく、世間の目がいぶかしげにこちらを見ているような気がするからだ。詩集や歌集でも同じことで、実際私にも経験があるけれど、その種の本を広げた途端に、世間から孤立した感じがしてしまう。ひとりで勝手に「はづかしさ」を覚えてしまうのである。しかも作者が乗っているのは「弱冷房車」だ。よほど無頓着な人は別にして、冷房車を避けて数の少ない弱冷房車に乗るのは意識的である。その車両に乗りたくて、わざわざ選んで乗るわけだ。ということは、「弱」の乗客の間には、たまたま乗り合わせたとはいえ、一般の冷房車の雑多な客よりもいわば同類としての意識が高い。実際に他の客の意識がどうであれ、選んで乗った当人にはそう感じられる空間である。したがって、弱冷房車の世間は、そうでない車両のそれよりも濃密なのであって、そこで奇異に思われるかもしれない「句集」をあえて開いたのだから、これはもう「はづかしさ」と言うしかないのであった。とまあ、車中の読書にもいろいろと気を使うものでありマス。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)


June 2462005

 冷房の大スーパーに恩師老ゆ

                           林 朋子

語は「冷房」で夏。長らく会うことのなかった「恩師」を、偶然にスーパーで見かけたのだろう。その人は、たぶん男性だ。「大スーパー」だから、二人の距離はだいぶ離れている。目撃しての第一印象は、「ああ、ずいぶんと歳をとられたなあ」ということであった。白髪が目立ち、姿勢も昔のようにしゃんとはしていない。近寄って挨拶するのも、なにかはばかられるような雰囲気である。スーパーでの男の買い物客は目立つ。とくに老人となると、よんどころなく買い物に来ているような雰囲気が濃厚で、気にかかる。妻や家族はいないのだろうか、あるいは病身の妻を抱えてるのだろうかなどと、むろん深く詮索するつもりもないのだが、ちらりとそんなことを思ってしまうのだ。ぎんぎんに冷房の効いた店内を、慣れない足取りで歩いている様子は、溌剌としていないだけに余計に年齢を感じさせるようなところがある。この後、作者はどうしたろうか。句の調子からして、ついに声をかけそびれたような気がするのだが……。これで見かけた場所が書店だったりすると、恩師もさまになっているので挨拶はしやすかっのだろうが、場所と人との関係は面白いものだ。ところで、私もたまにスーパーに買い物に行く。周囲の主婦たちのてきぱきとした動向に気を取られつつ、ついつられて余計なものを買ってしまったりする。目立っているのだろうな、おそらく私も。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


June 1762010

 冷房のなかなか効かぬ男かな

                           渋川京子

場に男と女が争う原因のひとつがこれではないか、一読おかしくなった。クールビズの影響か、この頃はノーネクタイのサラリーマンをよく見かけるが、外回りから帰るやいなや暑い暑いと設定を「強」にして吹きつける冷風を浴び書類で顔を仰いだりする。体感温度そのものが違うのか家での冷房も「なかなか効かぬ男」と冷えすぎる女との間で闘いが浮上してくる。そんな背景も踏まえつつ、気が効かないのか態度がでかいのか、まわりが冷ややかな視線を向けているのに、そんな雰囲気をものともしない男を冷房の効かない男にかけているようで、何ともユーモラス。それでも、この「男」の部分を「女」に変えると洒落にならないように思う。女が男をからかうと同時に寄りかかる気分もあって、そのあたりの機微がこの句の味わいを演出しているのだろう。『レモンの種』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2472012

 冷房が眼帯の紐揺らしをり

                           森 篤史

粉症の蔓延に伴ってマスク姿はすっかり見慣れたが、眼帯には依然あたりの目を引くような存在感が残っている。小中学生時代には、眼帯やギブスなどに対して奇妙な憧れがあり、冴えない生徒にスポットライトが当たるように、その白さがまぶしく見えたものだ。とはいえ、いざ自身への装着となると、視界を奪われる不自由さは、日常生活の細部に渡り、厄介きわまりない。距離感のもどかしさを他の五感が補おうと、ひりひりと敏感なっているのかもしれない。掲句の紐とは、眼帯を調整したのちの余った部分が耳の後ろに下がる。冷房のわずかな風になびく紐の感触さえ違和感を覚え、これにより、冷房も単なる空調設備ではない存在となった。身体に密着しながら、いつまでも異物を発し続ける眼帯というキーワードが、ここでも妙に魅力的に映るのだった。「古志青年部年間作品集」(2012)所載。(土肥あき子)




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