よく見ると,一つ一つは食べにくそうだなあ。それにしても、朝食にキャンドルとはね。




2005ソスN6ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0362005

 慷慨のうた世にすたれ瓜の花

                           大串 章

語は「瓜の花」で夏。胡瓜、南瓜、マクワウリ、糸瓜やひょうたんなど、ひょうたん科瓜類の花の総称だ。「慷慨(こうがい)」は、世の中や自分の運命を憤り嘆くこと。悲憤慷慨。作者が「慷慨のうた」というとき、どのあたりのうたをイメージしたのだろうか。典型には、たとえば戦前の「青年日本の歌」(三上卓・作詞作曲)がある。「汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛び 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」。三上卓は五・一五事件の決起将校の一人で、この歌は「昭和維新の歌」として、当時の若者たちに広く歌われたという。また広い意味では、「起て、飢えたるものよ」の「インターナショナル」なども慷慨歌に入れてよいだろう。そして時が過ぎ、いまやそうした歌はすっかりすたれてしまった。思い出す人も、もう少ない。それはあたかも、黄色い強烈な色彩で咲きながら、濃い緑の葉の奥のほうでひっそりと萎えている「瓜の花」を思わせる。と同時に、瓜の花は昨日も今日もそして明日も、凡々として過ぎてゆく日常の時間を暗示している。平凡な日々に「慷慨」の気はありえない。もとより作者は乱世を好むものではないけれど、「慷慨のうた」に血をわかすような若者の意気が沈滞してしまったことにも、一抹の寂しさを覚えているのではなかろうか。私の「瓜の花」は、戦中戦後の食糧難をしのいだときに、いやというほど目にした南瓜の花だ。そのころにはまだ、少年たちにすら「慷慨のうた」があった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


June 0262005

 なんとなく筍にある前後ろ

                           早野和子

語は「筍(たけのこ)」で夏。俳句ならではの、とぼけた味わい。こういう句を、俳諧味があると言うのかしらん。おっしゃる通りに、その気で見ると、たしかに「前後ろ」があるような気がする。それがどうしたというものではないけれど、しかし、そのように見えてしまうこと自体は、人の認識についての興味深い問題をはらんでいると思った。筍に前後ろがあると感じるのは、実際に前後ろのある他の事物からの類推だろう。例えば筍の皮を衣服と見立てれば、襟元のように見えるほうが前であるし、筍を人体と思いなせば、平らなほうが背中に見えるので後ろということになる。むろん、筍に前も後ろもないことはわかっているのだが、私たちは日頃、ついそれがあるように見ているのが普通なのではあるまいか。そんな気がする。だとすれば、そのように見てしまうのは何故なのだろうか。おそらくそれは、私たちがそなえている秩序感覚のようなものに他を合わせたいからである。簡単に言うと、人は感性のいわば引き出しを持っており、見るもの聞くものを整理しては引き出しにしまっておく。全てを整理整頓できるわけではないけれど、可能なかぎりそれをしたいとは願っているようだ。つまり、そうしないと、身辺に不可解な事物が溢れかえってしまうわけで、不安にさいなまれかねない。野の花を摘んで来て、花瓶に挿す。このときに、ちょちょっと前後ろを整える。このことと筍に前後ろを見ることとは、同じ整理の感性に発しているのだ。『美作』(2005)所収。(清水哲男)


June 0162005

 六月の花嫁がかけ椅子古ぶ

                           安田守男

の上での「六月」は、すでに夏のなかばだ。仲夏の候。梅雨が控えてはいるものの、実際にもすべての風物が夏らしく変わっていく。「六月の花嫁」、すなわちジューン・ブライドはヨーロッパの言い伝えで、この月に結婚する女性は幸福になれるという。根拠には諸説あるそうだが、私は最も単純に捉えて、彼の地では六月がいちばん良い気候だからだろうと思っている。だとすれば、日本では春か秋に該当する。そんなこの国で、何も好き好んでこの蒸し暑い月に結婚式をあげることもないではないか。でも、そこはそれ、ブライダル・マーケットの巧みな陰謀もあってか、すっかりジューン・ブライドは定着してしまった感がある。何を隠そう(なんて、力を入れる必要もないけれど)、私も三十数年前の六月に挙式している。なぜ、六月だったのか。当時はまだジューン・ブライド神話も上陸しておらず、とにかく六月の式場は空いていて、料金も安かったという極めて実利的な理由からだった。案の定、当日は雨模様で蒸し暑かったのを覚えている。前置きが長くなったが、掲句は花嫁の褒め歌だ。匂うがごとき「六月の花嫁」が腰掛けると、式場の立派な椅子ですら、たちまちにして古びてしまう。それほどに、目の前の花嫁は若くて美しい……。というわけだが、この褒め方もなんとなく西欧風であるところが面白い。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます