コメントに"Only $2.95!"とある。バンクーバーのとある店のようだが、たしかに安い。




2005ソスN6ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0262005

 なんとなく筍にある前後ろ

                           早野和子

語は「筍(たけのこ)」で夏。俳句ならではの、とぼけた味わい。こういう句を、俳諧味があると言うのかしらん。おっしゃる通りに、その気で見ると、たしかに「前後ろ」があるような気がする。それがどうしたというものではないけれど、しかし、そのように見えてしまうこと自体は、人の認識についての興味深い問題をはらんでいると思った。筍に前後ろがあると感じるのは、実際に前後ろのある他の事物からの類推だろう。例えば筍の皮を衣服と見立てれば、襟元のように見えるほうが前であるし、筍を人体と思いなせば、平らなほうが背中に見えるので後ろということになる。むろん、筍に前も後ろもないことはわかっているのだが、私たちは日頃、ついそれがあるように見ているのが普通なのではあるまいか。そんな気がする。だとすれば、そのように見てしまうのは何故なのだろうか。おそらくそれは、私たちがそなえている秩序感覚のようなものに他を合わせたいからである。簡単に言うと、人は感性のいわば引き出しを持っており、見るもの聞くものを整理しては引き出しにしまっておく。全てを整理整頓できるわけではないけれど、可能なかぎりそれをしたいとは願っているようだ。つまり、そうしないと、身辺に不可解な事物が溢れかえってしまうわけで、不安にさいなまれかねない。野の花を摘んで来て、花瓶に挿す。このときに、ちょちょっと前後ろを整える。このことと筍に前後ろを見ることとは、同じ整理の感性に発しているのだ。『美作』(2005)所収。(清水哲男)


June 0162005

 六月の花嫁がかけ椅子古ぶ

                           安田守男

の上での「六月」は、すでに夏のなかばだ。仲夏の候。梅雨が控えてはいるものの、実際にもすべての風物が夏らしく変わっていく。「六月の花嫁」、すなわちジューン・ブライドはヨーロッパの言い伝えで、この月に結婚する女性は幸福になれるという。根拠には諸説あるそうだが、私は最も単純に捉えて、彼の地では六月がいちばん良い気候だからだろうと思っている。だとすれば、日本では春か秋に該当する。そんなこの国で、何も好き好んでこの蒸し暑い月に結婚式をあげることもないではないか。でも、そこはそれ、ブライダル・マーケットの巧みな陰謀もあってか、すっかりジューン・ブライドは定着してしまった感がある。何を隠そう(なんて、力を入れる必要もないけれど)、私も三十数年前の六月に挙式している。なぜ、六月だったのか。当時はまだジューン・ブライド神話も上陸しておらず、とにかく六月の式場は空いていて、料金も安かったという極めて実利的な理由からだった。案の定、当日は雨模様で蒸し暑かったのを覚えている。前置きが長くなったが、掲句は花嫁の褒め歌だ。匂うがごとき「六月の花嫁」が腰掛けると、式場の立派な椅子ですら、たちまちにして古びてしまう。それほどに、目の前の花嫁は若くて美しい……。というわけだが、この褒め方もなんとなく西欧風であるところが面白い。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 3152005

 いよよ年金冷し中華の辛子効く

                           奈良比佐子

語は「冷し中華」で夏。「いよよ年金」ということになり、所定の手続きをすませに行った帰りだろう。ちょっと空腹を覚えたので、そこらへんの店に入って「冷し中華」を注文した。と、思いのほか辛子が効いていて、鼻がツーンと……。理不尽にも、強制的に泣かされたようなものである。そう思うと、なんとなく可笑しい。が、句の眼目はともかく、年金と冷し中華との取り合わせはよく似合うような気がする。というのも、年金受給資格を得るためには、保険料を払い込むこと以外には、あとはただ一定の年月が経過すればそれですむ。そこが停年退職とは決定的に違うから、受給資格を得て思うことは、すなわち歳をとったということくらいだ。したがって、停年退職の感慨もなければ、何かを成し遂げたという充実感もない。ただ、もう自分は若くはなく、いわゆる高齢者に分類されるのだと、そんな愉快ではない思いがチラチラするばかりなのである。受給する年金が高額ならまだしも、それも適わぬとなれば、自分で自分を祝う気などにはさらさらなれない。で、そこらへんの店で、そそくさと散文的に冷し中華を食べたということだ。こういうときに寿司という気分ではなし、かといって蕎麦や饂飩でも少し意味ありげだし、やはり無国籍料理たる冷し中華くらいが適当なのだ。その前に、まだ食欲があっただけ、作者はエラい。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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