吹雪の写真ですが,この5月21日に撮影されたもの。さて、どこでしょうか。北極です。




2005ソスN5ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2452005

 自由が丘の空を載せゆく夏帽子

                           山田みづえ

京都目黒区自由が丘。洒落たショッピング街と山の手らしい閑静な住宅街とが共存する街。友人が長らく住んでいたので、二十代のころからちょくちょく出かけていた。どことなく、避暑地の軽井沢に似た雰囲気のある街だ。そんな自由が丘の坂道を、たとえば白い夏帽子をかぶった少女が歩いてゆく図だろうか。「空を載せゆく」とは、いかにも健やかでのびのびとした少女を思わせて微笑ましい。しかも、その空は「自由が丘」の空なのだ。実際に現地を知らなくても、「自由」の響きからくるおおらかさによって、作者の捉えた世界への想像はつくだろう。軽い句だが、上手いものである。自由が丘と聞いて、戦後につけられた地名と思う人もいるようだが、そうではない。「自由ヶ丘」と表記していたが、昭和の初期からの地名である。発端となったのは、自由主義を旗印に手塚岸衛がこの地に昭和二年に開校した「自由ヶ丘学園」だ。試験もなく通信簿もないというまさに自由な学園は、残念なことに昭和の大恐慌で資金繰りがうまくいかなくなり、あえなく閉校してしまったという。が、手塚の理想主義は当時の村長や在住文化人らの熱い支持を受け、地名として残され定着したのだから、以て瞑すべし。戦時中には「自由トハ、ケシカラン」と当局からにらまれたこともあったらしいが、住民たちが守り通した。そうした独特の気風が、現在でもこの街に生きているような気がする。その「空」なのだから、夏帽子もどこか誇らしげである。ちなみに「自由ヶ丘」が「自由が丘」と表記変更されたのは、昭和四十年(1965年)のことであった。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 2352005

 噴水や戦後の男指やさし

                           寺田京子

語は「噴水」で夏。連れ立っていた「男」が、たまたま噴水に手をかざしたのだろう。ああいうものにちょっと手を触れてみたくなる幼児性は、どうも男のほうが強いらしい。それはともかく、作者はその人の「指」を見て、ずいぶんと「やさし」い感じを受けたのだった。そういえば、この人ばかりではなく、総じて「戦後の男」の指はやさしくなったとも……。男の指を通して、戦後社会のありようの一断面をさりげなく描いた佳句だ。男の指がやさしくなったのは、もちろん農作業など戸外での労働をしなくなったことによる。1950年代の作と思われるが、当時は「青白きインテリ」という流行語もあったりして、多くの男たちにはまだ「指やさし」の身を恥じる気持ちが強かった。たしか詩人の小野十三郎の自伝にも、自分の白くてやさしい感じの手にコンプレックスを持っていたという記述があったような気がする。ごつごつと節くれ立った指を持ってこそ、男らしい男とされたのは、肉体労働の神聖視につながるが、しかしこれはあくまでも昔の権力者に都合の良い言い草であるにすぎない。句はそこまでは言ってはいないけれど、男の指がやさしく写ることに否定的ではなく、ほっと安堵しているような気配がうかがえる。苛烈な戦争の時代を通り抜けた一女性ならではの、それこそやさしいまなざしが詠ませた句だと思う。『日の鷹』(1967)所収。(清水哲男)


May 2252005

 煌々と夏場所終りまた老ゆる

                           秋元不死男

語は「夏場所(五月場所)」。いまは六場所制だが、五月場所は初場所と並んで歴史が古い。作者は、毎年この場所を楽しみにしていたのだろう。千秋楽、館内「煌々(こうこう)」たるうちに優勝力士の表彰式も終わり、立ち上がって帰る前に、あらためて場内を見回して余韻を噛みしめている。充実した場所に大いに満足はしているのだが、それだけにもう来年まで見られないのかと思うと、一抹の寂寥感がわいてくる。そんな感情にかられるのもまた相撲見物の楽しみの一つではあるものの、一年に一度の夏場所ゆえ、ふっと我が身の年齢に思いが及んだりする。また一つ、年を取った……。あと何度くらい、ここで夏場所を楽しめるだろうか。若いうちには思いもしなかった「老い」の意識が、遮りようもなく脳裡をかすめたというのだ。まだ大相撲人気が沸騰していたころの句だから、この寂寥感は無理なく当時の読者の共感を呼んだにちがいない。比べると、昨今の相撲にはこうした感情が入りにくくなったような気がする。それは何も朝青龍などの外国人力士が強いからというのではなく、相撲そのものの内容が、昔とはすっかり変わってしまったせいではないのかと愚考する。いちばん変わったのは、勝負に至るスピードだろう。行司がついていけないほどのスピーデイな相撲は、よほどの玄人でないかぎり、見ていてもよくわからない。わからなくては、感情移入の隙もない。格段の技術の進歩が、かえって人気を落としてしまったというのが、ド素人の私の解釈である。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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