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2005ソスN5ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1752005

 敗れたりきのふ残せしビール飲む

                           山口青邨

語は「ビール(麦酒)」で夏。とはいえ、いまでは一年中飲まれていて、季節感も薄れてきた。だが、この句はやはり昔の夏のものだろう。いつごろの句かは不明だが、とりあえず飲み残したビールを保存しておくのは、ビールがまだかなり高価だった時代を物語っているからだ。作者は、何に「敗れた」のか。わからないけれど、「敗れたり」の「たり」に着目すると、ある程度の勝算があったにもかかわらず、結果は負けてしまったということだと推察できる。したがって情けなくも口惜しくて、勝てば新しいビールの栓を抜いたところなのに、気の抜けた飲み残し分を飲んでいる。意気消沈の気分が、不味いビールで余計に増幅されてきて、暗くみじめである。ビールの句には美味そうなものが多いなかで、不味い味とは珍しい。アルコール類の味は、飲むときの気分によってかなり左右されるということだ。飲まない人からすれば、そんなときには飲まなければよいのにと思うだろうが、勝ったといっては飲み、負けてもまた飲むのが飲み助の性(さが)みたいなもので、こればかりはなおらない。敗戦後の一時期には、失明の危険を承知しながらメチールを飲んだ多数の人たちがいたことを思えば、飲み残しのビールを飲むなどは、まだまだ可愛い部類だと言うべきか。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 1652005

 白靴の埃停年前方より来

                           文挟夫佐恵

語は「白靴(しろぐつ)」で夏。「前方」には「まへ」のルビあり。私は停年を経験していないが、わかるような気がする。一日働いて帰宅し靴を脱ぐときに、うっすらと埃(ほこり)がついているのに気がついた。白靴だからさして目立たないとは思うけれど、その埃を言うことで、日中働いてきた作者の充実感と、伴ってのいささかの疲労感を象徴させているのだろう。そんな日々のなか、だんだん停年退職の日が近づいている。ついこの間までは、まだまだ先のことだと思えていたのが、最近ではどんどん迫ってくる感じになってきた。停年の日に向かってこちらが歩いていっているつもりが、なんと停年のほうからも自分に歩み寄ってくる。それも「前方より」というのだから、有無を言わせぬ勢いで近づいてくるのだ。玄関先でのほんの一瞬の動作から、呵責ない時の切迫感を詠んだ腕の冴え。あるいはまた、この白靴は自分のではなく、ご主人のものだとも解釈できるが、そうだとしても句の冴えは減じない。いま調べてみたら、掲句は作者五十代はじめの句集に収められていた。昔の停年は五十歳と早かったので、ううむ、どちらの靴かは微妙なところではある。『黄瀬』(1966)所収。(清水哲男)


May 1552005

 大学も葵祭のきのふけふ

                           田中裕明

日は「葵祭(あおいまつり)」。京都は上賀茂神社と下鴨神社の祭礼だ。古くは賀茂祭と言い、昔は単に祭といえばこの祭を指したという。不思議な魅力を持った句だ。「大学も」の「大学」は作者の在籍した京大を言っているのだろうが、作者よりも二十年ほど前の学生であった私の実感からすると、葵祭がこのように大学の雰囲気に影響したことはなかったと思う。アルバイトで参加する連中を別にすれば、ほとんど話題にすらならなかった。どう想像してみても、作者が学生だった頃も同じだったのではないかと思われる。京都に在住経験のない人ならば、さもありなんと微笑しそうだけれど、大学というところは京都に限らず、散文的な空間である。それに若い多くの学生たちには、古くさい祭のことなどよりも、もっと他に好奇の対象はいくらだってあるのだから、いかに有名な祭でも、その色に染まるなんてことはまずないのである。しかし作者は、だからこそと言うべきか。あえてたかだか百年ほどの近代の産物である大学に、千年の都の風を入れてみたかったのではなかろうか。せっかく伝統の土地にありながら、その風を入れずに機能するだけだなんて、なんともったいない。もっとゆったりと構えて、葵祭に染まるのも、またよろしいのではないか。ならば染めてみようというところに、この句の発想の原点があるような気がする。すなわち、作者は掲句のような大学で学びたかった。「大学も」の「も」には、そうした作者の願いが込められているのだと読む。『山信』(1979)所収。(清水哲男)




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