久留米行き。朝一番のバスに乗らないと,指定の時間に間に合わない。九州は遠いです。




2005ソスN5ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1452005

 生きのいい頭あつめてもむみこし

                           落合水尾

輿渡御の景。句は「祭」に分類しておく。俳句で「祭」は夏祭のことだ。平仮名を多用しているのは、神輿を揉むダイナミックな様子を表現する意図からだろう。明日は東京・神田祭の宮入で、九十基もの神輿が練り回るというから、人、人、人の波となる。まさに「生きのいい頭」たちの晴れ舞台だ。岡本綺堂が明治期の東京の祭について書いているが、昔は実にすさまじかったらしい。「各町内の若い衆なる者が揃いの浴衣の腰に渋団扇を挿み、捻鉢巻の肌脱ぎでワッショイワッショイの掛け声すさまじく、数十人が前後左右から神輿を揉み立て振り立てて、かの叡山の山法師が京洛中を暴れ廻った格で、大道狭しと渦巻いて歩く」。そして、これからが大変だ。「殊に平生その若い衆連から憎まれている家や、祭礼入費を清く出さぬ商店などは、『きょうぞ日頃の鬱憤ばらし』とあって、わざとその門口や店先へワッショイワッショイと神輿を振り込み、土足のままで店へ踏み込む。戸扉を毀す、看板を叩き落とす、あらん限りの乱暴狼藉をはたらいて、またもや次の家へ揉んでゆくという始末」というのだから、ダイナミックもここに極まれり。さすがに警察も黙っていられなくなり、この文章が書かれたころには、神輿を若い衆に揉ませることは禁じられ、「白張りの仕丁が静粛に」かつぐことになっていたようだ。それがまた、いつの間にやら「生きのいい頭」たちの手に戻り、戦後のひところはまた静かになった時期もあったけれど、やはり祭は「静粛」では面白くない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


May 1352005

 白服にプラットフォームの端好む

                           田中灯京

語は「白服」で夏、「夏服」に分類。今日から「白服」に着替えたのだろう。男は女性ほどひんぱんに色調の異なる服には替えないので、着替えた当座はなんとなく照れくさいものだ。べつに誰が見ているわけでもないのに、あまり人の目につかないようなところを選びたくなる。そんな感じで、作者も自然に「プラットフォームの端」に足が向いたのだった。が、端っこに立っていても、どうも落ち着かない。面映いような気持ちだけが募ってくる。わかりますねえ。私はそういうときでなくても端が好きで、ひとりのときはいつも最後尾から乗車する。駅のどのあたりで待つかは、性格によるんだぜ。大学時代に友人からそう言われて、はっとしたことを思い出した。友人の説によれば、内向的な人間、引っ込み思案の人間は、たいてい端に立つ。それも先頭ではなく、最後尾のほうの端だということで、見事に当っているなと合点したのだった。それからしばらくというもの、ならば引っ込み思案を少しでも直そうとして、真ん中へんで待つことに努力したのだけれど、あえなく挫折。どうも、端でないと落ち着けなかったからだ。そういえば、別の友人で、いつも同じ位置に乗り合わせた女性と結婚したヤツもいたっけ。同じ性格だから、大いに気が合ったのだろう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 1252005

 緑蔭に低唱「リンデン・バウム」と云ふ

                           上田五千石

語は「緑蔭(りょくいん)」で夏。青葉の木陰は心地よい。二通りに解せる句で、ひとつは、緑蔭で誰かが低く歌っている「リンデン・バウム」が聞こえてきたという解釈と、もう一つは自分で歌っているという解釈だ。私は「緑蔭に」の「に」を重視して、自分が口ずさんでいると取る。ほとんど鼻歌のように、何の必然性もなく口をついて出てきた歌。それがシューベルトの名曲「リンデン・バウム」だったわけだが、作者はその曲名をあらためて胸の内で「云ふ」ことにより、美しい歌の世界にしばしうっとりとしたのだろう。あるいはこの曲にはじめて接した少年時代への懐旧の念が、ふわっとわいてきたのかもしれない。いずれにしても、ちょっとセンチメンタルな青春の甘さが漂っている句だ。♪泉に沿いて繁る菩提樹……。私は中学二年のときに習ったが、この曲を思い出すと、教室に貼ってあった大きなシューベルトの肖像画とともに、往時のあれこれがしのばれて、胸がキュンとなる。学校にピアノはなく、オルガンで教えてもらった。ところで「リンデン・バウム」を菩提樹と訳したのは堀内敬三だが、ドイツあたりではよく見かけるこの樹は、お釈迦様の菩提樹とも日本の寺院などの菩提樹とも雰囲気がかなり違う。両者の共通点は同じシナノキ科に属するところにはあるのだけれど、この訳で良かったのかどうか。もっとも「菩提樹」という宗教的な広がりを感じさせる訳だったからこそ、日本にもこの歌が定着したとも言えそうだが。『田園』(1968)所収。(清水哲男)




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