いきなり巨人楽天の激突(笑)。パ悲願の交流戦がはじまる。ぜひとも成功してほしい。




2005ソスN5ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0652005

 十七歳跨いで行けり野の菫

                           清水径子

語は「菫(すみれ)」で春。ハイキングの途次だろうか。可憐に咲いている「野の菫」を、まことに無造作に「十七歳」が跨(また)いで行ったというのである。「十七歳」とは、微妙な年齢だ。十六歳とも違うし、十八歳とも違う。もう子供だとは言えないが、さりとて大人と言うにはまだ幼いところが残っている。そんな宙ぶらりんな年齢にとって、例外はあるにしても、野に咲く花などに立ち止まるような興味はないのが普通だろう。万事において、好奇心はもっと刺激的なものへ、もっと華麗なものへと向けられている。掲句は、十七歳のそのようなありようを、菫をぱっと跨いで行った一つの行為を描くことで、見事に象徴化してみせた作品だ。未熟で粗野な美意識と、それを補って余りある若い身体の柔軟性とが、一つに混然と溶け合っている年齢の不思議を、むしろ作者は羨望の念を覚えながら見たのだと思われる。ところで、この十七歳は男だろうか、それとも女だろうか。どちらでもよいようなものだけれど、私は直感的に女だと読んでいた。男だとすると、情景が平凡で散文的に過ぎると感じたからだ。女だとしたほうが、跨ぐ行為にハッとさせられるし、しなやかな肢体を思わせられるので、情景にちょっぴり艶が出る。それから、もしかするとこの「十七歳」はかつての作者自身だったのかもしれないと、思いが膨らんだのでもあった。『清水径子全句集』(2005)。(清水哲男)


May 0552005

 頭より軽きボールや夏始まる

                           原田 暹

の上では、今日から夏だ。作者の体調、すこぶる良好と読める。天気も快晴だ。バレーボールだろうか。とにかく、野球のボールのように小さいものではない。それを両手で持ったときに、ふっと「頭より軽き」と感じた。普通は頭の重さなど意識することはまずないだろうが、このときの作者は感じたわけだ。これはボールの意外な軽さを言っていると同時に、頭の重さに身体の充実した感覚を象徴させているのだろう。すなわち、気力体力が良好であるがゆえのボールの軽さなのである。同じボールでも、調子の悪いときには重く感じられる。今日は、そんな感じがまったくない。さて、それではサービスエースとまいろうか。夏の始まりの清々しい気持ちが、一読伝わってきて心地よい。このとき、作者二十七歳.さもありなんと、うなずける年齢でもある。ボールと言えば、少年時代に憧れたものの一つだ。何にせよ、手作りの時代だったから、野球のボールにせよバレーボールのそれにせよ、本物のボールに触れる機会はなかなかなかった。バレーボールの本物に触れたのは、中学三年のときの体育の時間だったと思う。そのときは軽さ重さというよりも、見かけからすると意外に固いなと感じたことを良く覚えている。いまだにその触覚が残っているせいで、国際試合などでの猛スピードのやりとりを見ていると、痛っと思ったりしてしまう。「俳句」(1971年7月号)所載。(清水哲男)


May 0452005

 屋根裏に吊す玉葱修司の忌

                           大倉郁子

日を季語とすることに、私はあまり積極的じゃない。よほど有名な人の亡くなった日でも、故人の縁者や友人などならいざ知らず、季節がいつだったかを覚えているのは難しいからだ。急に誰それの忌と句で示されても、読者に季節がわからなければ価値は半減してしまう。「(寺山)修司」が亡くなったのは、1983年の今日のことだった。もう二十年以上もの歳月が過ぎているわけで、ファンや私のような友人知己は別にして、一般的には死去した季節を知らないほうが普通なのではあるまいか。だから、それでもなお忌日を使いたいという場合には、掲句のように他に季節を指し示す言葉で補完するのが妥当だと思う。俳句で「玉葱」は夏の季語だが、今頃はちょうど新玉葱の収穫期だから「修司の忌」にぴったりだ。そしておそらく、この句は寺山の短歌「吊るされて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲエネフを初めて読みき」を踏まえている。したがって、句の「玉葱」も芽ぐみつつあるのだ。吊るした玉葱は気温との関係で発芽することがあり、収穫農家にはドジな話なのだが、寺山にとっては眠れるものの覚醒であり、句の作者にとっては死者のひそやかな復活を意味している。そう読むと、なかなかに良く出来た抒情句だ。ところで振り出しに戻って、句の季語はどうしようか。「玉葱」か「修司の忌」か。小一時間ほど悩んだ末に、寺山さんとのあれこれが思い出されてきて切なくなり、あえて節を曲げることにした。季語は「修司忌」で春です。明日が立夏。『対岸の花』(2002)所収。(清水哲男)




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