このままでいくと国民に兵役の義務が課される日がやってくる。憲法「改悪」を許すな。




2005ソスN5ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0352005

 春深し隣りは鯛飯食ひ始む

                           清水基吉

書に「車中」とある。隣りにいるのは、たまたま乗り合わせた見知らぬ人である。発車後間もないのか、あるいはまだ飯時ではないのか。でも、その人はひとり悠々と「鯛飯」弁当を食べはじめた。まことにもって「春深し」の候、作者は窓外を流れる新緑を眺めながら微笑している。ざっくりと読むならば、こういうことだろう。だが、人にもよるのだろうが、私などは隣りの人の食事にはちょっと神経を使わせられる。ちらちら目をやるわけにもいかないし、できるだけ無関心を装わねば失礼なような気もするので、身じろぎもせずに窓の外を見やったり、眠ったふりでもすることになる。自分が弁当を持っている場合にはもっと複雑で、こちらも食べればよいものを、それでは隣りにつられて真似したようで、釈然としない。しかも相手は高価な「鯛飯」、こちらはスタンダードな幕の内だったりすると、それだけで一種気後れもするから、ますます開けなくなる。仮にこの逆であるとしても、同じことだ。とにかく、まったく無関心というわけにいかないのには困ってしまう。神経質に過ぎるだろうか。これはもしかすると昔の教室で、みんなが弁当を隠しながら食べた世代に特有の感じ方なのかもしれないと思ったりもしているのだが……。ゆったりと句を味わえばよいものを、つい余計なことを書いてしまった。ごめんなさい。俳誌「日矢」(2005年5月号)所載。(清水哲男)


May 0252005

 田植ぐみ子が一人ゐて揺りゐたり

                           若色如月

夏茱萸
語は「田植ぐみ」。この言い方は知らなかったが、句景からして「苗代茱萸(なわしろぐみ)」とも言う「夏茱萸」のことだろう。秋に実をつけるのが「秋茱萸」だ。私が俳句を愛好する理由のひとつは、ときどきこうした懐かしい光景に出会えるからである。二十年も三十年も忘れてしまっていた世界が、すっと眼前に立ち現われてくる喜びは、俳句ならではのものだ。少年時代の思い出にそくして言えば、掲句は一家総出での田植えの一齣である。昔の田植えはとにかく手間がかかったから、夜明けとともに田圃に入り、日暮れ時まで植えつづけた。自分の家の真ん前の田に出るのならばともかく、遠く離れた田圃だと、昼食をとりに家に戻るなどという余裕は無い。だから、文字通りに一家総出で出かけていく。あぜ道に篭を置いて、なかに赤ん坊を寝かせておくなども当たり前の情景だった。年寄りから小学生まで、植えられる人間はみんな田圃に入ったものだった。そんなわけで、句の「子」はまだ手伝いのできない小さい子だと思う。退屈してきたので、近くの山薮のなかに入って「ぐみ」を取っているのだ。田圃のなかから眺めやると、葉がくれの小さい子の姿に重なって、ちらちらと赤い実が揺れている。ただそれだけのことながら、かつての農村に育った者には、ふるいつきたいくらいの懐かしい光景だろう。写真は、このサイトより拝借。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0152005

 笈も太刀も五月にかざれ紙幟

                           松尾芭蕉

語は「幟(のぼり)」で夏。端午の節句に立てる布や紙製の幟である。現在では鯉のぼりが圧倒的に優位にあるが、芭蕉の頃には逆だった。あるいは、鯉のぼりはまだ無かったかもしれない。いかにも五月らしい威勢の良い句だ。『おくのほそ道』の旅で、現在の福島県瀬上町に佐藤庄司(藤原秀衛の臣で、息子二人は義經に殉じた)の旧跡を訪ねた折りの作。かたわらの医王寺に「入りて茶を乞へば、爰に義經の太刀辨慶が笈をとゞめて什物とす」とある。すなわち、折りしも五月なのだから、紙のぼりといっしょに弁慶の笈(おい)も義經の太刀も節句の飾り物にせよと言ったわけだ。しかも、この日は偶然にも「五月朔日のことなり」ということで、ますます威勢がよろしい。昔の読者はみな「ううむ」と感心したのだったが、後に曾良の随行メモが発見されて、これらがフィクションであることが明らかになる。芭蕉は義經の太刀も辨慶の笈も実際には見ていないし、日付も五月一日ではなくて二日だった。このようなフィクションは『おくのほそ道』には他にもあり、ノンフィクションとしては信用できない書き物ではあるけれど、しかし私は、自作を生かすためのこの程度のフィクションは気にしない。もっと大ボラを吹いて楽しませてほしいくらいだ。でも、二日の出来事を「一日」のことだとわざわざ特記するところあたりで、芭蕉はちょっと気がさしたかもしれないなあ。同時代の井原西鶴ほどには、押しが強くなかった人のようだ。蛇足ながら、正岡子規は鯉のぼりが嫌いだったらしい。「定紋を染め鍾馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて、今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に翻りぬ」と慨嘆している。(清水哲男)




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