東京ではあまり阪神戦の中継がない。パソコンで追っかけてはいるが、もどかしい限り。




2005ソスN5ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0152005

 笈も太刀も五月にかざれ紙幟

                           松尾芭蕉

語は「幟(のぼり)」で夏。端午の節句に立てる布や紙製の幟である。現在では鯉のぼりが圧倒的に優位にあるが、芭蕉の頃には逆だった。あるいは、鯉のぼりはまだ無かったかもしれない。いかにも五月らしい威勢の良い句だ。『おくのほそ道』の旅で、現在の福島県瀬上町に佐藤庄司(藤原秀衛の臣で、息子二人は義經に殉じた)の旧跡を訪ねた折りの作。かたわらの医王寺に「入りて茶を乞へば、爰に義經の太刀辨慶が笈をとゞめて什物とす」とある。すなわち、折りしも五月なのだから、紙のぼりといっしょに弁慶の笈(おい)も義經の太刀も節句の飾り物にせよと言ったわけだ。しかも、この日は偶然にも「五月朔日のことなり」ということで、ますます威勢がよろしい。昔の読者はみな「ううむ」と感心したのだったが、後に曾良の随行メモが発見されて、これらがフィクションであることが明らかになる。芭蕉は義經の太刀も辨慶の笈も実際には見ていないし、日付も五月一日ではなくて二日だった。このようなフィクションは『おくのほそ道』には他にもあり、ノンフィクションとしては信用できない書き物ではあるけれど、しかし私は、自作を生かすためのこの程度のフィクションは気にしない。もっと大ボラを吹いて楽しませてほしいくらいだ。でも、二日の出来事を「一日」のことだとわざわざ特記するところあたりで、芭蕉はちょっと気がさしたかもしれないなあ。同時代の井原西鶴ほどには、押しが強くなかった人のようだ。蛇足ながら、正岡子規は鯉のぼりが嫌いだったらしい。「定紋を染め鍾馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて、今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に翻りぬ」と慨嘆している。(清水哲男)


April 3042005

 妹の嫁ぎて四月永かりき

                           中村草田男

年度ということもあって、「四月」という月は活気もあるがあわただしくもある。一般的な認識として、四月は短いと感じるのが普通だろう。だがこれに個人的な事情が加わると、いつもの四月とは違って、掲句のように永く感じる人も出てくる。妹が嫁いだ。いつも側にいた人がいなくなった。めでたいことではあるけれど、予想していた以上の喪失感を覚えて、作者は少しく滅入ってしまったのだ。それに昔のことだから、これからはそう簡単に妹と会うことはできない。何かにつけて、ふっと妹を思い出し、淡い寂しさを感じる日々がつづいた。この句には、兄という立場ならではの寂寥感がある。というのも、妹の結婚準備の段階からして、両親ほどにはしてやることもない。手をこまねいているうちに、自分以外の者の手でどんどん段取りは進められ、ろくに妹と話す機会もないうちに挙式となり、気がつけば傍らから消えてしまった。そういう立場なので仕方がないとはいえ、妹の結婚に実質的には何も関与していない自分であるがゆえに、どこか取り残されたような気持ちにもなっている。永い四月だったなあと嘆息するのも、よくわかるような気がする。さて、今年の四月も今日でおしまいですね。読者諸兄姉にとっては、どうだったでしょうか。私には例年通り、やはり短く感じられた四月でありました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 2942005

 千代田区の柳は無聊みどりの日

                           大畠新草

語は「みどりの日」。東京都千代田区は、お隣りの中央区と並んで定住者が少ない。夜間の人口は激減する。「昭和35年の12万人(住民基本台帳人口)をピークに区の人口は減り続け、平成11年1月には3万9千567人となっています。人口の減少により、地域のコミュニティが衰退し、生活関連の商店が減少するなど、区民生活に大きな影響を与えています」(千代田区ホームページ)。戦後いちはやく麹町区と神田区が合併してできた区だが、焼け野原だった当時の人口が3万人ほどだったそうだから、ほぼそのレベルに戻ってしまったわけだ。したがって、平日はビジネスマンなどでにぎわう街も、休祝日にはさながらゴーストタウンと化してしまう。私は皇居半蔵門前の放送局で働いていたので、この言い方は誇張ではない。食堂なども店を休んでしまうので、ホテルのレストランで高いランチを食べなければならなかった。掲句はそんな祝日の千代田区を詠んでいて、私などには大いに腑に落ちる。「みどりの日」というのに、せっかく青々としている「柳」も「無聊(ぶりょう)」のふうだ。みずみずしいはずの街路の柳も、なんとなくだらりと垂れ下がっているだけのような……。今日は昭和の時代には天皇誕生日だったので、千代田区千代田1-1というアドレスを持つ皇居の溢れんばかりの「みどり」も、句の背景に滲んで見える。昭和も遠くなりにけり。この句には、ちらりとそんな隠し味が仕込まれていると読んだ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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