高田渡追悼番組収録。「自転車に乗って」いた彼と立ち話をしたのは何年前だったろう。




2005ソスN4ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1942005

 骨壺の蓋のあきゐる朧月

                           川村智香子

語は「朧月(おぼろづき)」で春。柔らかく甘く霞んだような春の月のこと。句は実景であっても、そうでなくてもよいだろう。安置された「骨壺」には、まだ逝って間もない人の骨が入っている。なぜ「蓋」があいているのかはわからない。実景だとすれば、たまたま何かの拍子にあいてしまったのが、そのままになっていたのだ。実景でないとすれば、なおこの世にとどまっている霊魂が内側からそっと押し上げたのかもしれない。いずれにしても、掲句は幻想的な春の浮き世の空間に、冷厳なる死という現実をかすかに触れ合わせることにより、読者の心胆をゆすぶることに成功している。朧月にふうわりとした情緒を感じる人も心も、やがては例外無く骨壺に入ることになるのだ。人はみな死ぬのだということを、艶なる春の宵に認識してしまった作者の心の震えもよく伝わってくる。句集のあとがきによれば、まだ若い日に義兄がたった三ヶ月の入院の後で亡くなってしまい、急に死が身近に感じられ、そのことが後の句作りへのきっかけになったとある。だから、その折りのことを思い出しての句かもしれない。では、句が実景だとして、作者はこのときに蓋をしめただろうか。私は、すぐにはしめられなかったと思う。死を身近に感じた生者は、その瞬間にほとんど死の入り口に立ったようなものだからだ。骨壺のなかにいるのが半分くらいはおのれ自身であるときに、簡単には蓋をしめられるわけがないのである。『空箱(からばこ)』(2005)所収。(清水哲男)


April 1842005

 人の声花の骸を掃きをれば

                           清水径子

かな春の昼下がり。作者は、庭一面に散り敷いた桜の花びらを掃いている。と、どこからかかすかに「人の声」が聞こえてきた。散った桜の花びらを「花の骸(むくろ)」とは、一歩間違うと、大袈裟で仰々しい見立てにもなりかねない。だが、読者にそれをまったくあざとく思わせないところが、この句の凄さだろう。それは一にかかって、「人の声」との取り合わせによる。言うまでもないことながら、このときに「人の声」は骸に対する「生」の象徴だ。ここに人声がしなければ、作者にも花びらを骸とみなす意識は生まれなかったはずである。すなわち、作者ははじめから骸を掃いていたのではなくて、人声が聞こえたので、そこではじめて掃いている対象を骸と認識したのであった。「生」に呼び起こされる格好で、眼前の花びらの「死」が鮮やかに浮き上がってきたというわけだ。だから、骸という物言いにあざとさが微塵もないのである。掃く、聞こえる、掃く。同じ「掃く」という行為なのだが、前者と後者では世界が大きく異なっている。この異なりようを読者は一瞬で感じられるがゆえに、骸を素直に自然な比喩ないしは実体として受け入れることができる。わずか方数尺でしかない掃き寄せの空間に、生と死の移ろいを静かに的確にとらえてみせた腕前には唸らされた。『清水径子全句集』(2005・清水径子全句集刊行会)所収。(清水哲男)


April 1742005

 養生は図に乗らぬこと春の草

                           藤田湘子

にご存知のように、作者は一昨日亡くなられた。享年七十九。主宰誌「鷹」のいちばん新しい号(2005年4月号)で見ると、掲句のように闘病生活を詠んだ句が目立つ。この句ではしかし、だいぶ体調が良くなってこられていたようなので、一愛読者としてはほっとしていたのだが……。元気な人がこんな句を詠んだとしたら、教訓臭ふんぷんで嫌みな感じしか受けないけれど、病者の句となると話は別だ。一般的な教訓などではなく、自戒の意が自然に伝わってくるからである。少しくらい調子が戻ってきたからといって、萌え出てきた「春の草」に喜びを覚えたからといって、ここで「図に乗」っては危険だ。過去に失敗したことがあるからだろうが、作者は懸命に浮き立ちたい気分を押さえ込もうとしている。春の草の勢いとは反対に、おのれのそれを封じ込める努力が「養生(ようじょう)」なのだからと、自分に言い含めているのだ。このモノローグは、同じ号に載っている「春夕好きな言葉を呼びあつめ」「着尽くさぬ衣服の数や万愚節」などと読み合わせると、老いた病者の養生が如何に孤独なものかがうかがわれて、胸が痛む。これらの句は、作者の状況を知らない者にとっては、相当にゆるくて甘い句と読めるかもしれない。だが、掲載誌は結社誌なのだから、これで通じるのだし、これでよいのである。俳句が座の文芸であることを、しみじみと感じさせられたことであった。合掌。(清水哲男)




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