桜前線が行き過ぎて,東京あたりはもうすっかり初夏の装いです。山吹も咲き乱れて…。




2005ソスN4ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1842005

 人の声花の骸を掃きをれば

                           清水径子

かな春の昼下がり。作者は、庭一面に散り敷いた桜の花びらを掃いている。と、どこからかかすかに「人の声」が聞こえてきた。散った桜の花びらを「花の骸(むくろ)」とは、一歩間違うと、大袈裟で仰々しい見立てにもなりかねない。だが、読者にそれをまったくあざとく思わせないところが、この句の凄さだろう。それは一にかかって、「人の声」との取り合わせによる。言うまでもないことながら、このときに「人の声」は骸に対する「生」の象徴だ。ここに人声がしなければ、作者にも花びらを骸とみなす意識は生まれなかったはずである。すなわち、作者ははじめから骸を掃いていたのではなくて、人声が聞こえたので、そこではじめて掃いている対象を骸と認識したのであった。「生」に呼び起こされる格好で、眼前の花びらの「死」が鮮やかに浮き上がってきたというわけだ。だから、骸という物言いにあざとさが微塵もないのである。掃く、聞こえる、掃く。同じ「掃く」という行為なのだが、前者と後者では世界が大きく異なっている。この異なりようを読者は一瞬で感じられるがゆえに、骸を素直に自然な比喩ないしは実体として受け入れることができる。わずか方数尺でしかない掃き寄せの空間に、生と死の移ろいを静かに的確にとらえてみせた腕前には唸らされた。『清水径子全句集』(2005・清水径子全句集刊行会)所収。(清水哲男)


April 1742005

 養生は図に乗らぬこと春の草

                           藤田湘子

にご存知のように、作者は一昨日亡くなられた。享年七十九。主宰誌「鷹」のいちばん新しい号(2005年4月号)で見ると、掲句のように闘病生活を詠んだ句が目立つ。この句ではしかし、だいぶ体調が良くなってこられていたようなので、一愛読者としてはほっとしていたのだが……。元気な人がこんな句を詠んだとしたら、教訓臭ふんぷんで嫌みな感じしか受けないけれど、病者の句となると話は別だ。一般的な教訓などではなく、自戒の意が自然に伝わってくるからである。少しくらい調子が戻ってきたからといって、萌え出てきた「春の草」に喜びを覚えたからといって、ここで「図に乗」っては危険だ。過去に失敗したことがあるからだろうが、作者は懸命に浮き立ちたい気分を押さえ込もうとしている。春の草の勢いとは反対に、おのれのそれを封じ込める努力が「養生(ようじょう)」なのだからと、自分に言い含めているのだ。このモノローグは、同じ号に載っている「春夕好きな言葉を呼びあつめ」「着尽くさぬ衣服の数や万愚節」などと読み合わせると、老いた病者の養生が如何に孤独なものかがうかがわれて、胸が痛む。これらの句は、作者の状況を知らない者にとっては、相当にゆるくて甘い句と読めるかもしれない。だが、掲載誌は結社誌なのだから、これで通じるのだし、これでよいのである。俳句が座の文芸であることを、しみじみと感じさせられたことであった。合掌。(清水哲男)


April 1642005

 野に出でよ見わたすかぎり春の風

                           辻貨物船

語は「春の風」。句意は明瞭だから、解説の必要はないだろう。気持ちのよい句だ。こういう句を読むにつけ、つくづく作者(詩人・辻征夫)は都会っ子だったのだなあと思う。幼い頃に短期間三宅島に暮らしたことはあるそうだが、まあ根っからの下町っ子と言ってよい雰囲気を持っていた。私の交遊範囲で、彼ほどの浅草好きは他には見当たらない。掲句の「野に出でよ」は「野に出て遊ぼうよ」の意だから、私のような田舎育ちには意味はわかっても、素直には口に出せないようなところがある。野に暮らして野に出るといえば、どうしても野で働くほうのイメージが勝ってしまうからだ。島崎藤村の詩「朝」のように、野はぴったりと労働に貼り付いていた。「野に出でよ 野に出でよ/稲の穂は黄に実りたり/草鞋(わらじ)とくゆえ 鎌を取れ/風にいななく 馬もやれ」と、こんな具合にだ。逆に、かつて寺山修司がアンドレ・ジッドの口まねをして「書を捨てて、街に出よう」と言ったときには、わかるなあと思った。こちらは、どう考えても田舎育ちの発想である。すさまじいまでの街への憧れを一度も抱いたことのない者には、それこそ意味は理解できるとしても、心の奥底のほうでは遂にぴったりと来ないのではなかろうか。育った環境とは、まことに雄弁なものである。『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)




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