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2005ソスN3ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1732005

 青ぬたやかためにたきし昼の飯

                           片山鶏頭子

語は「青ぬた(青饅)」で春。ネギ、ワケギ、ホウレンソウなどの春先の野菜を茹でて、イカ、マグロなどと酢みそで和えたもの。なるほど、青ぬたは「ぬたぬたと(笑)」やわらかいので、ご飯は少し「かため」に炊くほうがよいだろう。私のような飲み助には酒の肴でおなじみだが、食膳の主菜としても美味しそうだ。熱々のかためのご飯に、つめたい青ぬた。それも昼食なのだから、室内は明るくて青ぬたの色彩も美しく,春の気分満点だ。食べ物の句は,このように美味しそうに作るのがなかなか難しい。ところで「ぬた」は何故「ぬた」と言うのか。手元の百科事典を見たら,「沼田(ぬた)のようにどろどろしているから」という説が紹介されていた。でも、「どろどろ」と形容するのはニュアンスが違うな。やはり「ぬたぬた」としか言いようがないような気がする。英語での似たような例を、アーサー・ビナードが書いていた。ある絵本を日本語に翻訳していて,"goo"という単語で行き詰まった。絵本ではテーブルの下に落ちている灰色の塊を指していて、英米人なら幼児期から誰でも知っている単語らしい。「ドロドロの液体か,グシャグシヤの固体か、その中間の半固体状態で粘り気のあるもの、ともかくベタベタあるいはヌメッとした物体を"goo"と呼ぶ」。だが、日本語には該当する適当な言葉がない。仕方がないので「だれかが おとした もの」とやったそうだが、これは絵本のその場面限定の翻訳であって,"goo"の本義にはほど遠いわけだ。これを読んだときに我らが「ぬた」も"goo"じゃないかと思ったけれど,どうなのだろうか。今度会ったら,聞いてみよう。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 1632005

 青き踏む生まなくなつた女たち

                           早乙女わらび

語は「青き踏む(踏青)」で春。古い中国の行事から来た言葉だが,いわゆる野遊び、ピクニックなどを言う。ちょっとした春の散策やそぞろ歩きも含めて,幅広く使われているようだ。この場合は,比較的若い女性ばかり何人かでのハイキングだろうか。明るい日差しを浴びて,にぎやかに春の野を楽しんでいる女性たち。作者はその群像を傍見しつつ、ふっと最近の女性の多くが子供を「生まなくなった」ことを意識させられた。意識させられたからといって、それがどうしたというわけではないが、彼女らの屈託のなさや身軽さは、そのあたりから発しているような気がしないでもない。いずれにしても、戦後半世紀以上を経てみると,女性のありようも変われば変わったものだという感慨がわいてくる。で、ここからは私のヤマカンでしかないが、ひょっとすると句の「青き踏む」は、平塚らいてうの興した「青踏社」に掛けてあるのかもしれないと思った。「青踏社」の「踏」は正確な表記では「鞜」であるが、どちらも語源的には「踏む」の意を持つからか,両者とも普通に使われている。そこでこの句に、らいてうの有名な宣言「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取り戻さねばならぬ」を響かせると,いっそう味わい深くなる。彼女の言った意味で,果たして現代女性はまったき太陽を取り戻したと言えるのだろうか、それとも……。作品集「雁坂」(2004年12月・第11輯)所載。(清水哲男)


March 1532005

 蟻穴を出づる尻のみな傷み

                           皆吉爽雨

語は「蟻穴を出づ」で春。「地虫穴を出づ」に分類。「尻」は「いしき」と読ませている。衣服の尻当てのことを、昔は「いしき当て」と言った。春,暖かくなってきて,「蟻」たちが巣穴から出てきた。次々に出てくる彼らの「尻」は、しかし、固い表面の土にこすれて「みな傷(いた)」んでいると言うのだ。無惨というほどではないにしても、新しい生活に入るときには、みなこのように傷を負うのだという示唆は鋭い。そしてまたこの句には、生きとし生けるものの根源的な哀しみのようなものが滲んでいる。一見写生句のようにも思えるが,とうていこれは写生という範疇の叙述ではあり得ない。写生を突き詰めていって,その果てに忽然と生まれた想像の世界とでも言うべきだろうか。爽雨の晩年に詠まれた句で,感じたのは,ここには高齢者でなくては発想できない詩心があるということだった。老人にとっての巡り来る春とは,若年の頃のようにただ楽天的に謳歌できる性質のものではないからだ。春に新生の息吹きを感じるがゆえに,他方では滅びへの感覚も研ぎすまされてくる。それが作者にとっての「尻の傷」というわけだ。たとえ傷を負おうとも,若さはそれを苦もなく乗り越えられる。が、老人は負ったままで、これからも暮らさねばならぬことを知っている。その意識が,蟻たちに向けられたとき、はじめてみずからの不安定な心根をこのように詠み得たということになる。自愛と自虐,慈愛と残酷さが混在したまなざしだ。掲句は作者の孫の皆吉司『どんぐり舎の怪人・西荻俳句手帖』(2005・ふらんす堂)で知った。肉親ならではの爽雨像に、格別の関心をもって読んだ。好著である。句は『声遠』(1982)所収。(清水哲男)




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