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2005ソスN3ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1632005

 青き踏む生まなくなつた女たち

                           早乙女わらび

語は「青き踏む(踏青)」で春。古い中国の行事から来た言葉だが,いわゆる野遊び、ピクニックなどを言う。ちょっとした春の散策やそぞろ歩きも含めて,幅広く使われているようだ。この場合は,比較的若い女性ばかり何人かでのハイキングだろうか。明るい日差しを浴びて,にぎやかに春の野を楽しんでいる女性たち。作者はその群像を傍見しつつ、ふっと最近の女性の多くが子供を「生まなくなった」ことを意識させられた。意識させられたからといって、それがどうしたというわけではないが、彼女らの屈託のなさや身軽さは、そのあたりから発しているような気がしないでもない。いずれにしても、戦後半世紀以上を経てみると,女性のありようも変われば変わったものだという感慨がわいてくる。で、ここからは私のヤマカンでしかないが、ひょっとすると句の「青き踏む」は、平塚らいてうの興した「青踏社」に掛けてあるのかもしれないと思った。「青踏社」の「踏」は正確な表記では「鞜」であるが、どちらも語源的には「踏む」の意を持つからか,両者とも普通に使われている。そこでこの句に、らいてうの有名な宣言「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取り戻さねばならぬ」を響かせると,いっそう味わい深くなる。彼女の言った意味で,果たして現代女性はまったき太陽を取り戻したと言えるのだろうか、それとも……。作品集「雁坂」(2004年12月・第11輯)所載。(清水哲男)


March 1532005

 蟻穴を出づる尻のみな傷み

                           皆吉爽雨

語は「蟻穴を出づ」で春。「地虫穴を出づ」に分類。「尻」は「いしき」と読ませている。衣服の尻当てのことを、昔は「いしき当て」と言った。春,暖かくなってきて,「蟻」たちが巣穴から出てきた。次々に出てくる彼らの「尻」は、しかし、固い表面の土にこすれて「みな傷(いた)」んでいると言うのだ。無惨というほどではないにしても、新しい生活に入るときには、みなこのように傷を負うのだという示唆は鋭い。そしてまたこの句には、生きとし生けるものの根源的な哀しみのようなものが滲んでいる。一見写生句のようにも思えるが,とうていこれは写生という範疇の叙述ではあり得ない。写生を突き詰めていって,その果てに忽然と生まれた想像の世界とでも言うべきだろうか。爽雨の晩年に詠まれた句で,感じたのは,ここには高齢者でなくては発想できない詩心があるということだった。老人にとっての巡り来る春とは,若年の頃のようにただ楽天的に謳歌できる性質のものではないからだ。春に新生の息吹きを感じるがゆえに,他方では滅びへの感覚も研ぎすまされてくる。それが作者にとっての「尻の傷」というわけだ。たとえ傷を負おうとも,若さはそれを苦もなく乗り越えられる。が、老人は負ったままで、これからも暮らさねばならぬことを知っている。その意識が,蟻たちに向けられたとき、はじめてみずからの不安定な心根をこのように詠み得たということになる。自愛と自虐,慈愛と残酷さが混在したまなざしだ。掲句は作者の孫の皆吉司『どんぐり舎の怪人・西荻俳句手帖』(2005・ふらんす堂)で知った。肉親ならではの爽雨像に、格別の関心をもって読んだ。好著である。句は『声遠』(1982)所収。(清水哲男)


March 1432005

 鎌倉を驚かしたる余寒あり

                           高浜虚子

語は「余寒(よかん)」で春。本格的な春も間近というときになって、突然寒波が襲ってきた。それも選りに選って温暖な湘南の地である「鎌倉」をねらったかのように、である。居住している作者自身が驚かされたのはむろんだが、それを鎌倉全体が驚かされたと大きくスケールを広げたところに、この句の新鮮な衝撃力がある。他の鎌倉の住人も驚いたろうが,鎌倉の土地そのものも、そしてさらには鎌倉の長い歴史までもが驚いたと読めるところが面白い。この句について、山本健吉は「淡々と叙して欲のない句」と言っている。「鎌倉の位置、小じんまりとまとまった大きさ,その三方に山を背負った地形,住民の生態などまで、すべてこの句に奉仕する」(『現代俳句』・角川新書)とも……。私はこれに加えて、というよりも、いちばん奉仕しているのは鎌倉という地名が内包している「歴史」なのだと思う。鎌倉幕府の昔より歴史的に濾過されてきたイメージが、読者にぴんと来るからこそ、句は生きてくるのだ。これを鎌倉の代わりに、たとえばすぐ近くの「東京」としたのでは、地形が漠としすぎることもあるけれど、何と言っても歴史が浅すぎて、鎌倉ほどに強いイメージが喚起されることはないだろう。すなわち掲句は、一見「淡々と叙して」いるようでいて、実は地名の及ぼすあれこれの効果をきちんと(瞬時にせよ)計った上で詠めたのだろうと思った。「無欲」という言い方は、ちょっと違うのではなかろうか。『五百句』(1937)所収。(清水哲男)




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