『ドラえもん』の声優陣一新。『サザエさん』のワカメの声優も変わる。変わる世の中。




2005ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1432005

 鎌倉を驚かしたる余寒あり

                           高浜虚子

語は「余寒(よかん)」で春。本格的な春も間近というときになって、突然寒波が襲ってきた。それも選りに選って温暖な湘南の地である「鎌倉」をねらったかのように、である。居住している作者自身が驚かされたのはむろんだが、それを鎌倉全体が驚かされたと大きくスケールを広げたところに、この句の新鮮な衝撃力がある。他の鎌倉の住人も驚いたろうが,鎌倉の土地そのものも、そしてさらには鎌倉の長い歴史までもが驚いたと読めるところが面白い。この句について、山本健吉は「淡々と叙して欲のない句」と言っている。「鎌倉の位置、小じんまりとまとまった大きさ,その三方に山を背負った地形,住民の生態などまで、すべてこの句に奉仕する」(『現代俳句』・角川新書)とも……。私はこれに加えて、というよりも、いちばん奉仕しているのは鎌倉という地名が内包している「歴史」なのだと思う。鎌倉幕府の昔より歴史的に濾過されてきたイメージが、読者にぴんと来るからこそ、句は生きてくるのだ。これを鎌倉の代わりに、たとえばすぐ近くの「東京」としたのでは、地形が漠としすぎることもあるけれど、何と言っても歴史が浅すぎて、鎌倉ほどに強いイメージが喚起されることはないだろう。すなわち掲句は、一見「淡々と叙して」いるようでいて、実は地名の及ぼすあれこれの効果をきちんと(瞬時にせよ)計った上で詠めたのだろうと思った。「無欲」という言い方は、ちょっと違うのではなかろうか。『五百句』(1937)所収。(清水哲男)


March 1332005

 街角の風を売るなり風車

                           三好達治

語は「風車(かざぐるま)」で春。中国から渡ってきた玩具で、中世のころから知られていた。春のはじめに多く作られたことから、春の季語とされたようだ。街角の風車売り。それだけで絵になるし、郷愁にも誘われる。その様子を風車を売っていると言わずに、「風を売る」と言い止めた。この句を読んで、「なるほど、上手いことを言ったものだ」と思う人もいるだろうし、逆に「きざっぽいなあ」とひっかかる人もいそうだ。はじめて掲句を知ったときの私は前者であったが,今では後者に傾いている。むろん、作者の洒落っ気はわかる。粋な味付けだ。だが最近の私は,こうした一種の機知をうとましく思いはじめた。四角四面に「風を売る」なんて嘘じゃないかと言うつもりは毛頭ないのだけれど、あまりにも作者の「どうだ、上手いもんだろ」と言わんばかりのポーズが鼻についてしまうからである。このあたり、俳句は短いがゆえに、鼻につくかどうかも紙一重だ。ま、小唄だと思って読めば、そう目くじらを立てることもあるまいが、このような機知の用いようは、ときに大きく物事の本質をはぐらかすほうに働く恐れは大だとは言っておきたい。もっとも、それが狙いさと言われれば,それまでだけれど……。それにつけても、ああ街角のセルロイドの風車。買いたいときには買えなかったし,買おうと思えば買えるようになったときには欲しい気持ちが失せていた。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 1232005

 老人の立つまでの間の虻の声

                           清水径子

語は「虻(あぶ)」で春。歳を取ってくると,どうしても動作が緩慢になってくる。口悪く言えば、ノロ臭くなる。作者の前で,いましもひとりの「老人」がのろのろと立ち上がっているところだ。「よっこらしょ」という感じが、なんとも大儀そうだ。と、そこにどこからともなく「虻の声」がしてきた。作者はいわば本能的に警戒する構えになっているが、老人のほうは立ち上がるのが精一杯という様子で,虻の接近を知ってか知らずか,全く警戒する風ではない。ただそれだけのことながら、この句には老人の身体のありようというものが見事に描かれている。といって,哀れだとかお可哀想になどという安手な感傷に落ちていないところが流石である。年寄りの緩慢は、敏捷な時代の果てにあるものだ。だから、身体のどこかの機能には敏捷な動きが残っている。すべての機能が平等に衰えてくるというものではない。したがって、このときにもしも老人に虻が刺そうとして近づいたとしたら,彼は長年の経験から,ノロ臭いどころか手練の早業で叩き落としてしまうかもしれない。あえて言えば,老人の身体にはそうした不可解さがある。若い者にはときに不気味にすら思えたりするのだが,そうしたことまでをも含んだ「立つまでの間」なのだ。他ならぬ私の動作も,だんだんノロ臭くなってきた。だから余計に心に沁みるのかもしれない。また掲句からは,俳句の素材はどこにでもあることを、あらためて思い知らされたのでもあった。『清水径子全句集』(2005)所収。(清水哲男)




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