Appleが次世代DVDでソニー松下系のBD支持と。どっちも見られるようにしてくれえっ。




2005ソスN3ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1232005

 老人の立つまでの間の虻の声

                           清水径子

語は「虻(あぶ)」で春。歳を取ってくると,どうしても動作が緩慢になってくる。口悪く言えば、ノロ臭くなる。作者の前で,いましもひとりの「老人」がのろのろと立ち上がっているところだ。「よっこらしょ」という感じが、なんとも大儀そうだ。と、そこにどこからともなく「虻の声」がしてきた。作者はいわば本能的に警戒する構えになっているが、老人のほうは立ち上がるのが精一杯という様子で,虻の接近を知ってか知らずか,全く警戒する風ではない。ただそれだけのことながら、この句には老人の身体のありようというものが見事に描かれている。といって,哀れだとかお可哀想になどという安手な感傷に落ちていないところが流石である。年寄りの緩慢は、敏捷な時代の果てにあるものだ。だから、身体のどこかの機能には敏捷な動きが残っている。すべての機能が平等に衰えてくるというものではない。したがって、このときにもしも老人に虻が刺そうとして近づいたとしたら,彼は長年の経験から,ノロ臭いどころか手練の早業で叩き落としてしまうかもしれない。あえて言えば,老人の身体にはそうした不可解さがある。若い者にはときに不気味にすら思えたりするのだが,そうしたことまでをも含んだ「立つまでの間」なのだ。他ならぬ私の動作も,だんだんノロ臭くなってきた。だから余計に心に沁みるのかもしれない。また掲句からは,俳句の素材はどこにでもあることを、あらためて思い知らされたのでもあった。『清水径子全句集』(2005)所収。(清水哲男)


March 1132005

 あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ

                           脇屋義之

語は「朝寝」で春。春眠暁を覚えず……。よほど気が急いていたのか、何かに気を取られていたのだろう。「あっ、しまった」と思ったときは、もう遅かった。「あらうことか」、寝ている妻を思い切り「踏んづけ」てしまったというのである。一方の熟睡していた奥さんにしてみれば,強烈な痛みを感じたのは当然として、一瞬我が身に何が起きたのかがわからなかったに違いない。夫に踏まれるなどは予想だにしていないことだから、束の間混乱した頭で何事だと思ったのだろうか。この句は「踏んづけた」そのことよりも、踏んづけた後の両者の混乱ぶりが想像されて,当人たちには笑い事ではないのだけれど,思わずも笑ってしまった。こうして句にするくらいだから、もちろん奥さんに大事はなかったのだろう。私は妻を踏んづけたことはないけれど,よちよち歩きの赤ん坊に肘鉄を喰らわせたことくらいはある。誰にだって、物の弾みでの「あらうことか」体験の一つや二つはありそうだ。この句を読んで思い出したのは、川崎洋の「にょうぼうが いった」という短い詩だ。「あさ/にょうぼうが ねどこで/うわごとにしては はっきり/きちがい/といった/それだけ/ひとこと//めざめる すんぜん/だから こそ/まっすぐ/あ おれのことだ/とわかった//にょうぼうは/きがふれてはいない」。「あらうことか」、こちらは早朝に踏んづけられた側の例である。『祝福』(2005・私家版)所収。(清水哲男)


March 1032005

 戦争展煤け福助畏まり

                           森 洋

季句。60年前の今日の東京大空襲、午前0時8分の深川空襲からそれははじまった。米軍の下町焦土作戦はこうだった。まず先発隊が焼夷弾を落して、大きい炎の四角形を描く。後続隊はその四角形のなかを、まるでジグソー・パズルでも埋めていくように、少しの隙間もできないように炎で満たしたのである。2時間半の爆撃によって東京下町一帯は廃墟と化した。約2000トンの焼夷弾を装備した約300機のB-29の攻撃による出火は強風にあおられて大火災となり、40平方キロが焼失、鎮火は8時過ぎであった。焼失家屋は約27万戸、罹災者数は100万余人に達した。死者は警視庁調査では8万3793人、負傷者は同じく4万0918人となっている。資料によって差異が大きいが、「東京空襲を記録する会」は死者数を10万人としている。何度も書いたことだが,七歳の私はその四角形の外側(中野区)で真っ赤に灼けた空を眺めていた。空襲の夜空は何度も見たけれど、あの夜の異常な色彩はとくによく覚えている。地獄絵で見るような色だった。掲句がこの空襲と関係があるのかどうかはわからないが、そんな戦禍のなかで焼け残り煤けた福助が展示してあるのだろう。酷い目に遭いながらもなお膝も崩さず「畏(かしこ)ま」っている福助人形は、その謎めいた微笑の下で,人間の愚かさをあざ笑っているようにも思えてくる。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・無季』(2004)所載。(清水哲男)




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