国税庁のHPでやっと確定申告書プリントまでこぎつけたところで、プリンターが故障。




2005年3月11日の句(前日までの二句を含む)

March 1132005

 あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ

                           脇屋義之

語は「朝寝」で春。春眠暁を覚えず……。よほど気が急いていたのか、何かに気を取られていたのだろう。「あっ、しまった」と思ったときは、もう遅かった。「あらうことか」、寝ている妻を思い切り「踏んづけ」てしまったというのである。一方の熟睡していた奥さんにしてみれば,強烈な痛みを感じたのは当然として、一瞬我が身に何が起きたのかがわからなかったに違いない。夫に踏まれるなどは予想だにしていないことだから、束の間混乱した頭で何事だと思ったのだろうか。この句は「踏んづけた」そのことよりも、踏んづけた後の両者の混乱ぶりが想像されて,当人たちには笑い事ではないのだけれど,思わずも笑ってしまった。こうして句にするくらいだから、もちろん奥さんに大事はなかったのだろう。私は妻を踏んづけたことはないけれど,よちよち歩きの赤ん坊に肘鉄を喰らわせたことくらいはある。誰にだって、物の弾みでの「あらうことか」体験の一つや二つはありそうだ。この句を読んで思い出したのは、川崎洋の「にょうぼうが いった」という短い詩だ。「あさ/にょうぼうが ねどこで/うわごとにしては はっきり/きちがい/といった/それだけ/ひとこと//めざめる すんぜん/だから こそ/まっすぐ/あ おれのことだ/とわかった//にょうぼうは/きがふれてはいない」。「あらうことか」、こちらは早朝に踏んづけられた側の例である。『祝福』(2005・私家版)所収。(清水哲男)


March 1032005

 戦争展煤け福助畏まり

                           森 洋

季句。60年前の今日の東京大空襲、午前0時8分の深川空襲からそれははじまった。米軍の下町焦土作戦はこうだった。まず先発隊が焼夷弾を落して、大きい炎の四角形を描く。後続隊はその四角形のなかを、まるでジグソー・パズルでも埋めていくように、少しの隙間もできないように炎で満たしたのである。2時間半の爆撃によって東京下町一帯は廃墟と化した。約2000トンの焼夷弾を装備した約300機のB-29の攻撃による出火は強風にあおられて大火災となり、40平方キロが焼失、鎮火は8時過ぎであった。焼失家屋は約27万戸、罹災者数は100万余人に達した。死者は警視庁調査では8万3793人、負傷者は同じく4万0918人となっている。資料によって差異が大きいが、「東京空襲を記録する会」は死者数を10万人としている。何度も書いたことだが,七歳の私はその四角形の外側(中野区)で真っ赤に灼けた空を眺めていた。空襲の夜空は何度も見たけれど、あの夜の異常な色彩はとくによく覚えている。地獄絵で見るような色だった。掲句がこの空襲と関係があるのかどうかはわからないが、そんな戦禍のなかで焼け残り煤けた福助が展示してあるのだろう。酷い目に遭いながらもなお膝も崩さず「畏(かしこ)ま」っている福助人形は、その謎めいた微笑の下で,人間の愚かさをあざ笑っているようにも思えてくる。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・無季』(2004)所載。(清水哲男)


March 0932005

 夢のまた夢に覺めけり櫻鯛

                           石 寒太

語は「櫻(桜)鯛」で春。真鯛のこと。産卵期を迎えて桜色の婚姻色に染まることと、内海や沿岸に桜の咲くころに集まってくることからの命名。ただし、おいしくなる旬は八十八夜を過ぎてからだそうだ。掲句は、作者若き日の佳作。「夢のまた夢」とは見果てぬ夢、所詮かなわぬ夢のことだから、目覚めたときにはとても悲しいものがあるだろう。「なあんだ夢か」ではすまされない絶望に近い哀しみだ。もしかするとこの鯛は既に捕われて、あるいは命を失って、作者の前に横たわっているのかもしれない。そう読めばますます悲哀感が募るけれど、しかし鯛の見た夢が見果てぬ夢であると詠むことにより、作者は美しい鯛ならではの気品と貫禄をそっと添えてやっていることがわかる。作者当時の作風について、筑紫磐井は「この作者の創る世界には、どこを探しても否定がないことに気づくだろう。否定たるべき死さえも、それは美しい生のいとなみの終焉のいろどりをそえるにすぎない」と書いている。鋭い視点だ。このまま、掲句にも当てはまる。すなわち、作者は桜鯛の悲しみを言いながら、そんな桜鯛を賞揚しているというわけだ。そして、こうした物事のつかみ方はひとり石寒太に限らず、多くの俳人に共通しているような気がする。乱暴な言い方をしておけば、同じ題材を扱っても、近代以降の詩人はこのようには書かない。いや、書けない。かつて茨木のり子は房総の禁漁区に鯛を見に行った詩で、禁漁区を設けた人間の愛が、実は鯛に対する「奴隷への罠たりうる」と書いた。多く詩人の目は、暗いほうへと向けられてきた。現代俳句文庫『石寒太句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)




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