東京大空襲の日(10日)が近い。ときの指揮官ルメイに勲一等旭日大授章を贈った日本。




2005年3月6日の句(前日までの二句を含む)

March 0632005

 黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ

                           林田紀音夫

季句。人は死ぬ、誰でもいつかは。が、私たちの多くは普段そのことを強く意識して暮らしているわけではない。たまに何かのきっかけがあって、ふっと意識させられることだ。意識させられて、この免れ難い宿命に悲観したり暗澹としたり、あるいは逆に死の万人平等性に安堵したりするなど、そのときその人にとっての反応はさまざまだ。作者のきっかけは、雨の道でだった。読者諸兄姉は、どんな情景を思い浮かべるでしょうか。キーは「黄の青の赤の雨傘」。これを、他に黒もあれば茶もあるというふうに色とりどりの傘と読むか、あるいはこの三色の傘に限定して読むかによって、解釈は異なってくる。私は後者と読んで、傘をさしているのは小学生くらいの女の子だと想像した。色とりどりだと、老若男女すべてが含まれてしまい、ポエジーに鋭さが欠けてしまう。おおかたは歳の順番さ、みたいな答えを出されてもつまらない。雨の道で前を行く三人の女の子、まだこれからたっぷりの時間が残されている幼い三つの命。傘の色が違うように、これからそれぞれの人生も違っていくわけだが、しかし終局的には死の一点において行きつく先は同じである。ただ、お互いの死が早いか遅いかの違いは確実にある。その違いに着目したとき、作者は言い知れぬ人間存在の寂しさを感じたのだ。そんな作者の思いなどもちろん知るはずもなく、元気に屈託なく歩いてゆくちっちゃな三人の女の子……。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・無季』(2004)所載。(清水哲男)


March 0532005

 春服の部下を呼び付け叱らねば

                           久松洋一

語は「春服(しゅんぷく)」。正月の「晴れ着」ではない。春の明るく軽やかな服装のこと。男女の着る和装、洋装いずれをも指すが、どちらかといえば女性の洋装が詠まれる場合が多い。掲句も、そうだろう。とくに若い女性のファッションは、季節に敏感だ。いや、季節を先取りすると言ったほうが適当か。この女性も、まだ春というには寒い日に、いかにも春らしい服装で出勤してきた。それだけでオフィスは華やぐ感じがするものだが、彼女自身もいつもよりは気分が華やいでいるようで上機嫌だ。が、彼女が仕事上の失敗をしたことを、上司である作者は気がついている。そのままにしておくと今後とも業務に差し支えるので、どうしても「叱らねば」ならない。叱ったら、きっと彼女はションボリしてしまうだろう。せっかくの「春服」の華やぎも台無しだ。できることなら叱りたくはないのだけれど、立場上からしてやむを得ない。でも、いつ「呼び付け」ようか。もう少し後でもいいかな……。気が重い。タイミングを計りながら、ちらちらと彼女の様子をうかがっている中間管理職の苦さがよく伝わってくる句だ。私は作者のような立場になったことはないが、上司には「部下」にはわからない上司としての辛さがあるのだ。上司もつらいよ。「抒情文芸」(2005年春号)所載。(清水哲男)


March 0432005

 世界の子らになの花いろの炒りたまご

                           呉羽陽子

語は「なのはな(菜の花)」で春。かつてサルトルは「飢えた子に文学は有効か」という問いを投げかけた。むろん、文学には答えられない質問だ。太古の昔から、子供は状況の被害者となる確率が高い。現代でも飢えはもとより、多くの子供たちが戦争による死、大人による虐殺、人身売買などの危険にさらされている。そんな子供たちが一人残らず、平和な環境で「なの花いろの炒りたまご」を食べられる日がくるだろうか。来ないかもしれない。いや、絶対に来てほしいという願いの込められた美しい句だ。こうした句は、案外と難しい。理屈に走ればヒューマニスト気取りと受け取られかねないし、感情に溺れればヒステリックな夢想家のように思われがちだからだ。実際、この世は子供や老人、障害者などの弱者に対して、多く偽善的である。断言できる。いつだって建前論を床の間に飾って、具体的には問題を遠くへ遠くへと排除しやり過ごしてしまうのだ。だからこのときに、有季定型俳句であろうとも、弱者への建前的ではない祈りや願望を表現することは、この世の「暗黙の秩序」にどこかで実質的には逆らうことになる。この句も、もちろんそうした構造を持っているだろう。だが、そのあたりがあからさまに露出して見えてこないのは、やはり「なの花いろ」の圧倒的な美しさを、読者が強く感じるからに違いない。その意味で、有季を巧みに取り入れた作品だと言える。それこそ良く出来た「炒りたまご」のようにふんわりと柔らかく、しかし有無を言わせず私たちに訴えてくるものがある。鴎座合同句集『翔』(2004)所載。(清水哲男)




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