東京に雪降り続く。大晦日以来の降りようだ。桜の開花は昨年より大幅に遅れるらしい。




2005ソスN3ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0432005

 世界の子らになの花いろの炒りたまご

                           呉羽陽子

語は「なのはな(菜の花)」で春。かつてサルトルは「飢えた子に文学は有効か」という問いを投げかけた。むろん、文学には答えられない質問だ。太古の昔から、子供は状況の被害者となる確率が高い。現代でも飢えはもとより、多くの子供たちが戦争による死、大人による虐殺、人身売買などの危険にさらされている。そんな子供たちが一人残らず、平和な環境で「なの花いろの炒りたまご」を食べられる日がくるだろうか。来ないかもしれない。いや、絶対に来てほしいという願いの込められた美しい句だ。こうした句は、案外と難しい。理屈に走ればヒューマニスト気取りと受け取られかねないし、感情に溺れればヒステリックな夢想家のように思われがちだからだ。実際、この世は子供や老人、障害者などの弱者に対して、多く偽善的である。断言できる。いつだって建前論を床の間に飾って、具体的には問題を遠くへ遠くへと排除しやり過ごしてしまうのだ。だからこのときに、有季定型俳句であろうとも、弱者への建前的ではない祈りや願望を表現することは、この世の「暗黙の秩序」にどこかで実質的には逆らうことになる。この句も、もちろんそうした構造を持っているだろう。だが、そのあたりがあからさまに露出して見えてこないのは、やはり「なの花いろ」の圧倒的な美しさを、読者が強く感じるからに違いない。その意味で、有季を巧みに取り入れた作品だと言える。それこそ良く出来た「炒りたまご」のようにふんわりと柔らかく、しかし有無を言わせず私たちに訴えてくるものがある。鴎座合同句集『翔』(2004)所載。(清水哲男)


March 0332005

 地の涯に倖せありと来しが雪

                           細谷源二

者は1941年(昭和十六年)の新興俳句弾圧事件で逮捕、二年間投獄され、敗戦の直前に東京からの開拓移民として一家をあげて北海道に渡った。北海道史をひもといてみる。「来れ、沃土北海道へ、戦災を転じて産業の再編成」というスローガンの下、拓北農民隊と呼ばれた応募者は東京都1719戸、大阪府583戸、神奈川県343戸、京都府257戸という具合に大都市圏からの移住者が多かった。しかし彼らに与えられたのは、沃土どころか大部分が泥炭地や火山灰地であり、ましてや農業経験もない人たちにはあまりにも過酷な現実であった。掲句には過酷とも苦しみとも何も書かれてはいないけれど、最後に置かれた「雪」の一文字で全てが語られている。同じように「幸せ」を求めたカール・ブッセの「山のあなた」の主人公は「涙さしぐみ、かへりきぬ」(上田敏訳)と戻ってくることができたが、開拓移民にはそれもならない。見渡す限りの大地を覆い尽くし、なお降りしきる雪のなかに、胸ふくらませた「倖せ(しあわせ)」などは完全に飲み尽くされてしまった。全てを失った者の茫然自失とは、こういうことを言うのだろう。今年は敗戦後60年にあたる。もはや北海道でも語られることの少ないであろう歴史の一齣だ。今日も北海道は雪のなか、雪のなかの雛祭り……。『砂金帯』(1949)所収。(清水哲男)


March 0232005

 水門に少年の日の柳鮠

                           川端茅舎

語は「柳鮠(やなぎはえ)」で春。特定の魚の名ではなく、春の十センチ足らずの、柳の葉に似た淡水魚を指す。東京あたりで「はや」といえばウグイのことだし、琵琶湖で「はい」「白はえ」というのはオイカワ(追川)の雌のことだ。また高知ではカワムツの俗称など、魚の名前は地方によって違ったりするのでややこしい。と、これは物の本の受け売りだけれど、ならば私が少年期を過ごした山口で「はえ」とか「はや」とかと呼んでいた魚は、何だったのだろうか。たしかに、形は柳の葉に似ていたから「柳鮠」という総称に入れて間違いではないだろう。小さくてすばしこくて、彼らが川に登場してくると、川端のネコヤナギもふくらんできて、ああ春なんだなあと実感したものだった。昔は川が澄んでいたから、学校帰りに飽かず覗き込んでは時を忘れた。なかでも早春の川では、メダカが泳ぎ川エビが飛び回り、動くものが増えてくるので楽しくも美しい。五年生のときだったか、その日にもらった何かの賞状をそこらへんに置いて夢中で除いていたら、あっという間に春風にさらわれて水に流されてしまったのも、懐かしい思い出だ。掲句の川は「水門」があるくらいだから、川幅は相当に広いのだろう。通りかかって気まぐれに、少年時代には無かった水門のあたりを覗いてみると、そこにはしかしちゃあんと「少年の日」そのままに「柳鮠」が元気に泳いでいた。懐かしくそして嬉しかったと、いかにも早春らしい抒情を湛えた句だ。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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