結局、出る杭は打たれてしまうのか。これでは、この国にベンチャー企業は育たないな。




2005ソスN2ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2622005

 紅梅や海人が眼すゝぐ二十年

                           谷川 雁

語は「紅梅」で春。前書きに「贈吾父」とあるから、父親に贈った句だ。この句については、作者の兄である谷川健一の説明がある。「わたしたちの父は眼科医だったのですが、病院の敷地に紅梅がありまして、父親はどこにも出かけないで、その紅梅を見ながら海人(あま)の眼ばかりをすすいでいたというわけです。海岸べりの土地でしたから、漁民が多かったのですが、水がよくなく眼を悪くする人が多かったのだと思います」。日々多忙を極めてはいるが、裕福ではない医者の姿が浮かんでくる。紅梅の季節がめぐってくるたびに、作者はそんな父親像を思い出し、優しい気持ちになったのだろう。私が谷川雁に会ったのは学生時代、三池炭坑闘争の最中であった。学園祭や何かで、何度か講演してもらった。第一印象は詩人というよりも策士という雰囲気で、しきりに学生運動などはヘボだと言われるのには閉口した。あるとき思い切って「でも、谷川さん。そんなに物事をひねくってばかり取らないで、素直に受け取ることも必要じゃないでしょうか」と聞いたことがある。と、雁さんは即座に「素直で革命なんかできるものか」と吐き捨てるように言った。思い返せば至言だとは思うけれど、しかしどうだろう、掲句の素直さは……。こういう一面は、決して私たち学生には見せようとしない人だったが、酔うと下手な冗談を連発したようなところは、どこかでこうした優しい心情につながっていたような気もする。「現代詩手帖」(2002年4月号)所載。(清水哲男)


February 2522005

 亀鳴いて全治二秒となりにけり

                           岩藤崇弘

語は「亀鳴く」で春。平井照敏の解説。「春の夜など、何ともしれぬ声がきこえるのを、古歌『河越しのみちの長路の夕闇に何ぞと聞けば亀の鳴くなる』(為兼卿)などから、亀の声としたもので、架空だが、春の情意をつくしている」。さて、掲句。さあ、わからない。わからなくて当然だ。現実的なことが、何も出てこないからだ。でも、なんとなく可笑しい。後を引く。何故なのか。おそらくそれは理解しようとして、具象的な「亀」を唯一の手がかりとせざるを得ないからだろう。だからこの句では、鳴くはずもない亀が本当に鳴いたのだと思わせられてしまう。「ええっ」と感じた途端に、「全治二秒」と畳み掛けられて、何が全治するのかなどと考える暇もなく、「なりにけり」と納得させられるのである。ミソは「全治二秒」の「二秒」だろう。一秒でも三秒でも極度に短い時間を表すことはできるし、一見「二秒」の必然性はないように見える。が、違うのだ。「二秒」でなければならないのだ。というのも、一秒や三秒では、ほんの少し字余りになる。字余りになれば、読者が一瞬そこで立ち止まってしまう。立ち止まられると、畳み掛けが功を奏さない。四秒でも駄目、次は五秒とするしかないけれど、これでは即刻全治ではなくなってしまう。間延びしてしまう。「二秒」だから、読者に有無を言わせない。なかなかのテクニシャンぶりだ。きっと良い句なのだろう。「俳句」(2005年3月号)所載。(清水哲男)


February 2422005

 炬燵今日なき珈琲の熱さかな

                           久米三汀

燵(こたつ)をかたづけた後の句だから、季語は「炬燵塞ぐ(こたつふさぐ)」で春。こういう句は、ちょっと想像では詠めないだろう。実感だ。作者は昨日までは炬燵で珈琲を飲んでいた。そのときには気がつかなかったのだが、こうして炬燵をかたづけて、足下などが冷たいなかで飲むと、こんなに熱いものを飲んでいたのかとあらためて気づいたというのである。周囲の環境によって、同じ温度のものも違ったふうに感じられる。当たり前と言えばそれまでだけれど、こうしたささやかな発見を書きつけるのも俳句の醍醐味だ。三汀は、小説家・劇作家の久米正雄(1891〜1952)の俳号。少年時代から、俳句をよくした。いまの人はもう読まないだろうが、漱石の遺児・筆子との恋の破局を描いた『蛍草』『破船』などで一躍人気作家となり、新感覚の通俗小説にも筆を染めたことで知られる。ところで、お気づきだろうか。掲句を現代の句として読めば道具立てに変わったところはないが、昔の句と知れば「ほお」と思うのが普通だろう。自宅の炬燵で珈琲を飲む。こんなハイカラなことをやっていた人は、そう多くはなかったはずだ。この人はとにかく新しもの好きだったようで、ラジオ放送がはじまったときに受信すべく、鎌倉の自宅の庭にものすごい高さのアンテナを建てたという話を、当人の随筆だったか何かで読んだことがある。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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