サマータイム導入法案を今国会に提出の動き。体験者として言えば、とにかく眠いぞ〜。




2005ソスN2ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2422005

 炬燵今日なき珈琲の熱さかな

                           久米三汀

燵(こたつ)をかたづけた後の句だから、季語は「炬燵塞ぐ(こたつふさぐ)」で春。こういう句は、ちょっと想像では詠めないだろう。実感だ。作者は昨日までは炬燵で珈琲を飲んでいた。そのときには気がつかなかったのだが、こうして炬燵をかたづけて、足下などが冷たいなかで飲むと、こんなに熱いものを飲んでいたのかとあらためて気づいたというのである。周囲の環境によって、同じ温度のものも違ったふうに感じられる。当たり前と言えばそれまでだけれど、こうしたささやかな発見を書きつけるのも俳句の醍醐味だ。三汀は、小説家・劇作家の久米正雄(1891〜1952)の俳号。少年時代から、俳句をよくした。いまの人はもう読まないだろうが、漱石の遺児・筆子との恋の破局を描いた『蛍草』『破船』などで一躍人気作家となり、新感覚の通俗小説にも筆を染めたことで知られる。ところで、お気づきだろうか。掲句を現代の句として読めば道具立てに変わったところはないが、昔の句と知れば「ほお」と思うのが普通だろう。自宅の炬燵で珈琲を飲む。こんなハイカラなことをやっていた人は、そう多くはなかったはずだ。この人はとにかく新しもの好きだったようで、ラジオ放送がはじまったときに受信すべく、鎌倉の自宅の庭にものすごい高さのアンテナを建てたという話を、当人の随筆だったか何かで読んだことがある。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 2322005

 たかが椿の下を通るに身構ふる

                           林 朋子

語は「椿」で春。「たかが」が気にならないでもないが、句全体はよくわかる。椿はいきなりぼたっと落ちてくるので、うかうか下を歩けないような気分になるわけだ。「たかが」はだから、花そのものへの評価ではなく、たとえ落ちてきて身体に当ったとしても大したことはないの意だから、使い方としては間違ってはいない。「たかが」はストレートに「椿」にかかるのではなく、書かれていない「落花」にかかっているのだ。だが私だけの感じ方かもしれないのだけれど、ぱっと読んだときのファースト・インプレッションは、なんとなく花そのものを軽く見ているような気がしてしまった。俳句の短さからくる私の「誤解」である。誤解が解けてみれば、なかなかに面白い句なのだが……。「身構ふる」で思い出したのは、ハワイに行ったときだったか、ヤシの実の落下には気をつけるようにと注意を受けたことだ。なるほど、あんな高いところからあんな大きなものが落ちてきて頭に当たりでもしたら、命にかかわる。「たかが」どころの話じゃない。ついでに書いておけば、かなり日常的に身構えざるをえないのが、このところ増えに増えてきた土鳩どもの糞害に対してだ。近所の井の頭公園などに出かけると、たまにこいつらに直撃されてしまう。そんなときには、それこそ「たかが土鳩」とののしりたくなる。石原慎太郎都知事の数ある政策(?)のなかで、私は土鳩一掃策を唯一支持している。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


February 2222005

 猫の恋声まねをれば切なくなる

                           加藤楸邨

語は「猫の恋」で春。誰でも知っている恋猫の声だが、子供ならばともかく、大の大人になって真似してみる人がいるだろうか。私には真似した記憶がないけれど、しかしこの句を読んで、けっこう多くの人が真似しているような気がしてきた。実際、人はひとりでいるときに、何をしでかしているかわからないものだ。片岡直子に「かっこう」という詩があって「誰もいないへやで/私だけいるへやで//私は素敵なかっこうをしてみます//足をたくみにからませて/のばしてみたり……」とあるように、誰にもこうした似たような体験はあるだろう。猫の声を出してみることは、猫の気持ちになってみることである。一所懸命に鳴きまねをしているうちに、自分がどんどん恋に狂う猫になってくるのだから、ついには「切なくなる」のも当然だ。春愁一歩手前みたいな気分になったに違いない。ところで今日二月二十二日は「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで「猫の日」である。恋猫の目立つシーズンだから、タイミングもちょうど頃合いだ。では、この日が決まってから、負けてはならじと招き猫愛好者が作った「招き猫の日」をご存知だろうか。日にちは九月二十九日。これをおめでたく「くるふく」と読んで制定したのだという。なんだか「くにく」のアイディアのようでもありますが(笑)。『猫』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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