さあて「確定申告」だ。たいした収入もないのに、手間だけは金持ちと同じほどかかる。




2005ソスN2ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1822005

 るいるいといそぎんちやくの咲く孤独

                           土橋石楠花

語は「いそぎんちゃく(磯巾着)」で春。春に多く見られることから。早春の海辺の情景だろう。吹く風は冷たく、あたりに人影もない。そこここの岩陰に目をやると、あそこにもここにも「るいるいと」磯巾着が菊の花のように開いているのが見えた。赤や紫、緑色などをしたそれらは、ただじいっとして餌がやってくるのを待っているのだ。とりどりの体色がにぎやかなだけに、かえって寂寥感がある。数だけはたくさんいるけれど、決して群れているふうには感じられない。お互いに関わりのない雰囲気で、それぞれが岩にへばりついている。言うならば「孤独」の寄せ集まりだ。「るいるい」たる「孤独」が、作者の眼前に展開しているばかりなのである。磯巾着はどこか愛敬のある生物として詠まれることが多いが、このようにストレートに孤独とつなげた句は珍しい。おそらくこの「孤独」は、このときの作者の心奥のそれにつながっていたのだと思う。余談ながら、磯巾着は意外に長命なのだそうだ。いままで飼育された最長記録は65年に達し、多くの大形の種類のものは野外では100年近く生きるものと考えられている。句の作者のポエジーと直接関係はないのだけれど、こういうことを知ると、もはや老齢の磯巾着が「るいるいと」いる様子も想像されて、いっそう「孤独」の文字が目にしみてくる。掲句は、各種『歳時記』に収載。(清水哲男)


February 1722005

 田は一代工高受験許しけり

                           藤井洋舫

語は「受験」で春。当歳時記では「大試験」に分類。身につまされる読者もおられるだろう。作者の父としての立場からではなく、かつて「受験」を許された子供の立場から……。「田は一代」とあるから、作者は根っからの農業者ではない。おそらく戦争で職業を失い、素人として農村に入り田を作った人なのだ。私の父もそうだったが、そういう人はたくさんいた。苦労した末に、やっとなんとか農業も軌道に乗り生活も安定してきた矢先のこと、てっきり後を継いでくれるものとばかり思っていた息子が「工高」を受けたいと言いだした。むろん作者は、息子がその方面に向いているかもしれないとは思っている。が、たとえ受験に成功しても、その後の人生は自分で切り開いていかねばならない。何も、手助けしてはやれない。が、農業を継いでくれればいっしよに働けるし、一人前になるのも早いだろう。おまけに、将来のそこそこの生活ならば保証されているも同然だ。だけれども、息子の意思は固かった。涙ながらに訴えられたのかもしれない。最終的には、息子を好きな道に行かせてやろうと決断したわけだが、しかしどうせ「田は一代」なのだとあきらめるまでには、どれだけの懊悩があったことだろう。このような親子は、とりわけて敗戦後十年くらいまでは多かったろう。私の友人のなかにも、高校受験を断念した者が何人かいる。いまでこそ中学の同窓会で会うと笑っているが、当時はきっと深夜に布団をかぶって、ひとり泣いたのだろうな。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)


February 1622005

 海苔あぶる手もとも袖も美しき

                           瀧井孝作

語は「海苔(のり)」で春。新海苔の収穫期ゆえ。掲句、情景も美しいが句の姿も美しい。「美しき」などはなかなか詠み込み難い言葉だが、無理なくすらりと詠み込んでいる。あぶり加減で黒くも見え暗緑色にも見える光沢のある海苔だから、白い手もとも映え、和服の袖もまたよく映える。大袈裟ではなく、よくぞ日本に生まれけりと思うのはこういうときだ。いきなり話は上等でない海苔のことになるが、子供の時代に楽しみだったのが「海苔弁」だ。弁当箱にまず半分ほどご飯を敷き、その上にあぶった海苔にちょっと醤油をつけたのを敷き込む。このときに「おかか(鰹節)」があれば、いっしょに敷く。それからまたその上にご飯を盛って、同じように海苔をかぶせる。で、蓋をしてぎゅうっと押さえ込めば出来上がり。他に、おかずは無いほうがよろしい。単純な醤油飯でしかないけれど、時間が経つとほどよく醤油味が飯にしみてきて美味だった。二段飯というところにも、何か得したような感じで子供心をくすぐられた。でも、こんな贅沢な弁当は年に二度か三度かで、日の丸弁当があればまだよいほう。一年中米の飯が弁当に出来た子は、クラスでも半分くらいだったろうか。その貴重な海苔をこともなげにあぶって、こともなげに食べる。もうそれだけでも、子供の私だったら美しいと思う前に目を丸くしていたかもしれない。無粋な話になってしまいました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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