「ゆとり教育」見直せと。手前勝手に教育現場をいじくりまわすな。「ゆとり」を持て。




2005ソスN2ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1722005

 田は一代工高受験許しけり

                           藤井洋舫

語は「受験」で春。当歳時記では「大試験」に分類。身につまされる読者もおられるだろう。作者の父としての立場からではなく、かつて「受験」を許された子供の立場から……。「田は一代」とあるから、作者は根っからの農業者ではない。おそらく戦争で職業を失い、素人として農村に入り田を作った人なのだ。私の父もそうだったが、そういう人はたくさんいた。苦労した末に、やっとなんとか農業も軌道に乗り生活も安定してきた矢先のこと、てっきり後を継いでくれるものとばかり思っていた息子が「工高」を受けたいと言いだした。むろん作者は、息子がその方面に向いているかもしれないとは思っている。が、たとえ受験に成功しても、その後の人生は自分で切り開いていかねばならない。何も、手助けしてはやれない。が、農業を継いでくれればいっしよに働けるし、一人前になるのも早いだろう。おまけに、将来のそこそこの生活ならば保証されているも同然だ。だけれども、息子の意思は固かった。涙ながらに訴えられたのかもしれない。最終的には、息子を好きな道に行かせてやろうと決断したわけだが、しかしどうせ「田は一代」なのだとあきらめるまでには、どれだけの懊悩があったことだろう。このような親子は、とりわけて敗戦後十年くらいまでは多かったろう。私の友人のなかにも、高校受験を断念した者が何人かいる。いまでこそ中学の同窓会で会うと笑っているが、当時はきっと深夜に布団をかぶって、ひとり泣いたのだろうな。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)


February 1622005

 海苔あぶる手もとも袖も美しき

                           瀧井孝作

語は「海苔(のり)」で春。新海苔の収穫期ゆえ。掲句、情景も美しいが句の姿も美しい。「美しき」などはなかなか詠み込み難い言葉だが、無理なくすらりと詠み込んでいる。あぶり加減で黒くも見え暗緑色にも見える光沢のある海苔だから、白い手もとも映え、和服の袖もまたよく映える。大袈裟ではなく、よくぞ日本に生まれけりと思うのはこういうときだ。いきなり話は上等でない海苔のことになるが、子供の時代に楽しみだったのが「海苔弁」だ。弁当箱にまず半分ほどご飯を敷き、その上にあぶった海苔にちょっと醤油をつけたのを敷き込む。このときに「おかか(鰹節)」があれば、いっしょに敷く。それからまたその上にご飯を盛って、同じように海苔をかぶせる。で、蓋をしてぎゅうっと押さえ込めば出来上がり。他に、おかずは無いほうがよろしい。単純な醤油飯でしかないけれど、時間が経つとほどよく醤油味が飯にしみてきて美味だった。二段飯というところにも、何か得したような感じで子供心をくすぐられた。でも、こんな贅沢な弁当は年に二度か三度かで、日の丸弁当があればまだよいほう。一年中米の飯が弁当に出来た子は、クラスでも半分くらいだったろうか。その貴重な海苔をこともなげにあぶって、こともなげに食べる。もうそれだけでも、子供の私だったら美しいと思う前に目を丸くしていたかもしれない。無粋な話になってしまいました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 1522005

 生き死にや湯ざめのような酔い心地

                           清水哲男

生日ゆえ自作を。季語は「湯ざめ」で冬。誕生日が来ると、子供のころからあと何年くらい生きられるかなと思ってきた。平均寿命など知らなかった小学生のころには、人生およそ六十年を目安にして勘定したものだった。周囲の人たちの寿命が尽きるのは、だいたいそんな年齢だったからである。それが、いつしか昔の目安の六十歳を越えてしまった。この間に平均寿命の知識も得たが、これはその年に零歳の赤ん坊があと何年生きるかの目安なのであって、大人の余命とは直接には関係がない。今では男女ともに八十歳を越えたとはいっても、私の年代の平均余命をそこまで保証しているわけではないのだ。で、目安を失った六十歳以降からは、なんとなく「あと十年くらいかな」と勘定している。昨年も一昨年も、そして今年も「あと十年」と思うのは、数字的に減っていないので妙な話なのだけれど、まだ生命に未練たらたらな証拠のようなものだろう。常識では、これを希望的観測と言う。ただ、このところ毎年のように同世代の友人知己の死に見舞われていることからして、他方ではもういつ死んでもおかしくはない年齢に達したことを否応なく自覚させられてもいる。だから、掲句のように内向的になることもしばしばだ。でも、とにもかくにも今日で六十七歳になった。せめて今宵は楽天的に「あと十年は」と決めつけて、心地よい酔いのなかで眠りたい。(清水哲男)




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