昨日はたくさんのメール、お言葉をありがとうございました。良い誕生日になりました。




2005ソスN2ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1622005

 海苔あぶる手もとも袖も美しき

                           瀧井孝作

語は「海苔(のり)」で春。新海苔の収穫期ゆえ。掲句、情景も美しいが句の姿も美しい。「美しき」などはなかなか詠み込み難い言葉だが、無理なくすらりと詠み込んでいる。あぶり加減で黒くも見え暗緑色にも見える光沢のある海苔だから、白い手もとも映え、和服の袖もまたよく映える。大袈裟ではなく、よくぞ日本に生まれけりと思うのはこういうときだ。いきなり話は上等でない海苔のことになるが、子供の時代に楽しみだったのが「海苔弁」だ。弁当箱にまず半分ほどご飯を敷き、その上にあぶった海苔にちょっと醤油をつけたのを敷き込む。このときに「おかか(鰹節)」があれば、いっしょに敷く。それからまたその上にご飯を盛って、同じように海苔をかぶせる。で、蓋をしてぎゅうっと押さえ込めば出来上がり。他に、おかずは無いほうがよろしい。単純な醤油飯でしかないけれど、時間が経つとほどよく醤油味が飯にしみてきて美味だった。二段飯というところにも、何か得したような感じで子供心をくすぐられた。でも、こんな贅沢な弁当は年に二度か三度かで、日の丸弁当があればまだよいほう。一年中米の飯が弁当に出来た子は、クラスでも半分くらいだったろうか。その貴重な海苔をこともなげにあぶって、こともなげに食べる。もうそれだけでも、子供の私だったら美しいと思う前に目を丸くしていたかもしれない。無粋な話になってしまいました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 1522005

 生き死にや湯ざめのような酔い心地

                           清水哲男

生日ゆえ自作を。季語は「湯ざめ」で冬。誕生日が来ると、子供のころからあと何年くらい生きられるかなと思ってきた。平均寿命など知らなかった小学生のころには、人生およそ六十年を目安にして勘定したものだった。周囲の人たちの寿命が尽きるのは、だいたいそんな年齢だったからである。それが、いつしか昔の目安の六十歳を越えてしまった。この間に平均寿命の知識も得たが、これはその年に零歳の赤ん坊があと何年生きるかの目安なのであって、大人の余命とは直接には関係がない。今では男女ともに八十歳を越えたとはいっても、私の年代の平均余命をそこまで保証しているわけではないのだ。で、目安を失った六十歳以降からは、なんとなく「あと十年くらいかな」と勘定している。昨年も一昨年も、そして今年も「あと十年」と思うのは、数字的に減っていないので妙な話なのだけれど、まだ生命に未練たらたらな証拠のようなものだろう。常識では、これを希望的観測と言う。ただ、このところ毎年のように同世代の友人知己の死に見舞われていることからして、他方ではもういつ死んでもおかしくはない年齢に達したことを否応なく自覚させられてもいる。だから、掲句のように内向的になることもしばしばだ。でも、とにもかくにも今日で六十七歳になった。せめて今宵は楽天的に「あと十年は」と決めつけて、心地よい酔いのなかで眠りたい。(清水哲男)


February 1422005

 虎造と寝るイヤホーン春の風邪

                           小沢昭一

語は「春の風邪」。寒かったかと思うと暖かくなったりで、早春には風邪を引きやすい。俳句で単に「風邪」といえば冬のそれを指し、暗い感じで詠まれることが多いが、対して「春の風邪」はそんなにきびしくなく、どこかゆったりとした風流味をもって詠まれるケースが大半だ。虚子に言わせれば「病にも色あらば黄や春の風邪」ということになる。が、もちろん油断は大敵だ。軽い風邪とはいっても集中力は衰えるから、難しい本を読んだりするのは鬱陶しい。作者はおそらくいつもより早めに床について、「イヤホーン」でラジオを聞きながらうとうとしているのだろう。こういうときにはラジオでも刺激的な番組は避けて、なるべく何も考えないでもすむような内容のものを選ぶに限る。「次郎長伝」か「国定忠治」か、もう何度も聞いて中味をよく知っている広沢虎造の浪曲などは、だから格好の番組なのだ。ストーリーを追う必要はなく、ただその名調子に身をゆだねていれば、そのうちに眠りに落ちていくのである。そのゆだねようを指して、「虎造と寝る」と詠んだわけだ。病いの身ではあるけれど、なんとなくゆったりとハッピーな時間が流れている感じがよく出ている。それにつけても、最近めっきり浪曲番組が減ってしまったのは残念だ。レギュラーでは、わずかにNHKラジオが木曜日の夜(9.30〜9.55)に放送している「浪曲十八番」くらいのものだろう。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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