休日にかかってくる電話の九割はセールス。出ないわけにもいかないし、困ったものだ。




2005ソスN2ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1222005

 梅林の咲きて景色の低くなる

                           粟津松彩子

語は「梅(林)」で春。暖かい地方では、そろそろ見頃を迎えたころだろうか。作者の居住する京都だと、御所あたりの梅はちらほらと咲きはじめているにちがいない。言われてみれば、なるほど。咲いていないときは、「まだ咲かないか」と私たちは梅の木の上のほうにばかり視線をやるけれど、咲いてしまえば当然低い枝にも咲くわけだから、全体的に「景色」が低くなったように感じられる理屈だ。当たり前と言えば当たり前であるが、こうしたことを面白がって言える文芸は、他にはない。さすがに句歴七十余年のベテランらしい目の所産であり、いわゆる玄人好みのする一句だと思う。俳句に長年コミットしつづけていれば、このように上手にいくかどうかは別にして、だんだんに俳句的な目というものが身についてくる。俳句を知らなかったら想像だにしないであろう物の見方が、ほとんど自然に備わってくる。構造的には人それぞれに身についた職業的な物の見方と似ているが、多くの人にとって句作は職業ではないので、純粋に物の見方の高まりや広がりとして発露することができる。ただ危険なのは、こうして身についた俳句的物の見方を後生大事にしすぎるあまりに、複雑な現実の諸相を見失うことだろう。掲句のように、俳句でしか言えないことはある。が、俳句では言えないこともたくさんあるということを、私たちは忘れてはなるまい。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


February 1122005

 紀元節今なし埴輪遠くを見る

                           山口草堂

語は「紀元節」で春。戦後、昭和二十三年に廃止されたが、昭和四十一年に「建国記念の日」として復活した。復活ではないというのが国家の正式見解ではあろうが、この祝日が紀元節を受けて制定されたことは明らかだ。掲句が作句されたのは、したがって今日(きょう)が祝日ではなかった二十年間のどこかの時点だということがわかる。戦前の紀元節を知っている世代には、主義主張はともあれ、二月十一日が普通の日になってしまったことに一抹の寂しさは覚えたろう。昔ならばおごそかな式典が挙行され、「雲に聳(そび)ゆる高千穂の高根おろしに草も木も……」と歌ったものだったと……。おそらくは作者もその一人で、普通の日になってしまったことにいきどおっているのではなく、若き日に染み込んだ二月十一日感覚が通用しなくなったことへの寂寥感と時代の差への感慨とがこう詠ませたのだ。天皇の墓に侍した「埴輪」の目が、今日という日にはなおさらに遠くを見ているように感じられる。ついでながら、紀元節の歌のつづきを書いておけば、「……なびきふしけん大御代(おおみよ)を仰ぐ今日こそたのしけれ」という文句だ。もちろん国民学校で習って歌ったが、一年坊主には何のことかさっぱりわからなかった。しかし、メロディはいまでも覚えていて、ちゃんと歌える。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


February 1022005

 なまぬるき夕日をそこに龍の玉

                           岸田稚魚

語は「龍(竜)の玉」で冬。ただし、掲句では「なまぬるき夕日」とあるから、春めいてきた夕刻の情景だろう。ということは、この龍の玉は盛りを過ぎていきつつある。厳寒期にはつやつやしていた瑠璃色の玉も、いささか退色してきた。夕日がつい「そこ」まで来ている日陰に、けなげにも最後の輝きを発しているのかと思うと、いじらしくもあり侘しくもある。「夕日をそこに」の「を」に注目。夕日「が」でないのは、龍の玉の凛としたプライドがなお夕日「を」支配しようとしている気持ちを表している。作者に春の訪れは好ましいのだけれど、一方ではこうして季節とともにひそやかに消えていく存在もあるのだ……。そんな優しいまなざしが、この句を詠ませたのだと思う。俳句では季語の旬(しゅん)を詠むのが普通だが、このように旬を外してみると、そのものの新しくて深い一面が見えてくることがある。いや、俳句に限ったことではなく、常にそのような目を意識的に持ちつづけて表現することが、文芸というものだろう。むろん旬のなかの旬をきっちりと表現することも大切だが、他方ではいつも大きな視野をもって事に臨むことも大事である。旬ばかりをねらっていると、いつしか視野が狭くなってしまい、たとえば「なまぬるき夕日」と「龍の玉」の情景が眼前にあったとしても、旬ではないこの取り合わせを無価値として捨ててしまう危険性は大だと言っておきたい。『花の歳時記・冬』(2004)所載。(清水哲男)




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