昨夜のサッカー。前半は凡戦。日本はなんとか勝ったが北朝鮮の一発の魅力は捨て難い。




2005ソスN2ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1022005

 なまぬるき夕日をそこに龍の玉

                           岸田稚魚

語は「龍(竜)の玉」で冬。ただし、掲句では「なまぬるき夕日」とあるから、春めいてきた夕刻の情景だろう。ということは、この龍の玉は盛りを過ぎていきつつある。厳寒期にはつやつやしていた瑠璃色の玉も、いささか退色してきた。夕日がつい「そこ」まで来ている日陰に、けなげにも最後の輝きを発しているのかと思うと、いじらしくもあり侘しくもある。「夕日をそこに」の「を」に注目。夕日「が」でないのは、龍の玉の凛としたプライドがなお夕日「を」支配しようとしている気持ちを表している。作者に春の訪れは好ましいのだけれど、一方ではこうして季節とともにひそやかに消えていく存在もあるのだ……。そんな優しいまなざしが、この句を詠ませたのだと思う。俳句では季語の旬(しゅん)を詠むのが普通だが、このように旬を外してみると、そのものの新しくて深い一面が見えてくることがある。いや、俳句に限ったことではなく、常にそのような目を意識的に持ちつづけて表現することが、文芸というものだろう。むろん旬のなかの旬をきっちりと表現することも大切だが、他方ではいつも大きな視野をもって事に臨むことも大事である。旬ばかりをねらっていると、いつしか視野が狭くなってしまい、たとえば「なまぬるき夕日」と「龍の玉」の情景が眼前にあったとしても、旬ではないこの取り合わせを無価値として捨ててしまう危険性は大だと言っておきたい。『花の歳時記・冬』(2004)所載。(清水哲男)


February 0922005

 音速たのし春の午砲の白けむり

                           原子公平

書きに「少年時代の思い出 一句」とある。「午砲(ごほう)」は俗に「お昼のどん」と言われ、市民に正午を知らせた号砲だ。明治四年にはじまり、昭和四年サイレンにきりかえられるまで、旧江戸城本丸で毎日正午の合図に空砲を打った。いまのように時計が普及していなかった時代だから、これをアテにしていた人たちは多かったろう。むろん私は知らないのだけれど、はるか年上の原子少年はおもしろがっていたようだ。学校で「音速」を習ったばかりだったのかもしれない。まずその方角に「白いけむり」が上がったのが見え、しばらくしてから「どーん」と音が聞こえてくる。けむりが見えてから音がするまでの間(ま)に、なんとも言えぬおもむきがあった。折しも季節は「春」、のどかな少年期の真昼を回想して、作者はひとり微笑している。「音速」という硬い科学用語も、無理なく句に溶け込んでいる。それもまた、暖かい春ゆえだろう。なお、この午砲は東京・小金井公園のなかにある「江戸東京たてもの園」に保存されている(はずだ。数年前には入り口近くに置いてあった)。もっと大きいものかと思っていたら、意外に小さかったので驚いた。小学生がまたがって遊べるくらいの大きさと言えば、想像していただけると思う。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


February 0822005

 いそまきのしのびわさびの余寒かな

                           久保田万太郎

語は「余寒(よかん)」で春。立春以後、まだのこる寒さのことを言う。暦の上では春なのだから、そろそろ暖かくなってもよいはずだがと期待するだけに、よけいに寒さが恨めしくなる。だがなかには作者のように、従容として寒さに従う人もいる。従うどころか、春過ぎの寒さに粋なものだと感じ入っている。「いそまき」は「磯巻き」で、要するに海苔で巻いた食物のことだ。磯巻きせんべいがポピュラーだが、句の場合にせんべいではいささか色気に欠けるだろう。たとえば薄焼きタマゴを高級海苔で巻いた料亭料理などが、私にはふさわしいように感じられる。一箸取って口に含むと、隠し(しのび)味的に入れられた「わさび」の味と香りがほんのりと口中に漂ったのだ。その微妙で心地よい味と香りが、余寒の情緒に溶けていくように想われたというのである。いかにも万太郎らしい感受性の光る句柄だが、世に万太郎の嫌いな人はけっこういて、その人たちはこうしたことさらな粋好みを嫌っているようだ。かくいう私も嫌いというほどではないが、あまりこの調子でつづけられると辟易しそうではある。たまに、それこそ他の作者たちの多くの句のなかに二、三句はらりと「しのばせて」あるくらいが、ちょうど良い案配でしょうかね。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)




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