校正刷を見るのが苦手。というよりも嫌いだ。見ると古傷がうずくような気がするから。




2005ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0722005

 うすぐもり瞰れば京都は鮃臥す

                           竹中 宏

語は「鮃(ひらめ)」で冬。「瞰」には「み」の振仮名あり。「俯瞰(ふかん)」などと使われるように、「瞰る」は広く見渡すの意だ。気にしたこともなかったけれど、そういえば「京都(市)」の形は「鮃」に似ていなくもない。南端の伏見区を頭に見立てれば、左京区の北部が尾のように見える。学生時代に私の暮らした北区は、さしずめ腹部ということになろうか。といって、作者がそのことを言っているとは限らない。むしろ形ではなく質感的に「鮃」と感じたのかもしれない。「瞰る」についても空から鳥の目で京都の形状を瞰たのではなく、ビルの上階あたりからの眺めを感覚的に全体像としてとらえたのだろう。はっきりしない天候の日に、そうした高いところから何気なく市街を見下ろして、咄嗟に「鮃」がだらっと寝そべっているようだと感じたのだ。街全体がぬめぬめとしていて、およそ活力というものに欠けている。冬場は観光客も途絶えて、京都の最も寂しい季節だから、鮃が臥(が)しているようだととらえても、ことさらに突飛な比喩ではないのだ。暗鬱と言っては大袈裟に過ぎようが、どこか人の心をじめじめと浸食してくるような鬱陶しさが、この季節の京都の情景には漂っている。だが、そのじめじめをくどく言わず、逆に句的にはからりとさばいてみせたところに、作者の腕の冴えを感じた。感心した。『アナモルフォーズ』(2003)所収。(清水哲男)


February 0622005

 紅椿悪意あるごと紅の濃し

                           渡辺梅子

語は「椿」で春。私は椿にこういう印象を受けたことはないけれど、わかるような気がする。当然の話だが、花を見ての受け取りようは人さまざまだ。人さまざまである上に、さらには見る人のそのときの身体的精神的コンディションによっても、印象は微妙に左右されるだろう。作者は紅い椿に目を止めた。しかし見るほどに、いやに「紅」の濃いのが気になってきた。さながら何か邪悪な思いをゆらめかすように、こちらの目を射てくるのだ。目をそらそうとしても、かえって吸い寄せられてしまう。何だろうか、この紅の毒々しさは。しばしその場に立ちすくんでいる作者の姿が彷佛としてくる。故意に「紅」と「紅」とを重ねた詠み方の効果は大だ。句を読んで花ではないけれど、いつだったかイラストレーターの粟津潔さんが言ったことを思い出した。「鳩って奴は、よくよく見ると気味が悪いねえ」。それまで私はそんなことを思ったこともなかったのでびっくりしたが、後にこの話を思い出してよくよく見たら、なるほど妙に気味が悪かった。粟津さんには平和の象徴としての鳩のデザインが、たしか何点かあったはずだが、あれらも本当は気味悪がりながら描いたのだろうか。聞いてみようと思いつつも、機会を失してきた。でも、たぶんそうではあるまい。ある日ある時に何かの拍子で、対象がとんでもない見え方をすることがあるとするのが正しいのではなかろうか。作者にとっての「紅椿」も、むろんだろう。が、奇妙に後を引く句だ。『柿落葉』(1991)所収。(清水哲男)


February 0522005

 父と子は母と子よりも冴え返る

                           野見山朱鳥

語は「冴(さ)え返る(冴返る)」で春。暖かくなりかけて、また寒さがぶり返すこと。早春には寒暖の日が交互につづいて、だんだんと春らしくなってくる。普通は「瑠璃色にして冴返る御所の空」(阿波野青畝)などのように用いられる。掲句はこの自然現象に対する感覚を、人間関係に見て取ったところが面白い。なるほど「母と子」の関係は、お互いに親しさを意識するまでもない暖かい関係であり、そこへいくと「父と子」には親しさの中にも完全には溶け合えないどこか緊張した関係がある。とりわけて、昔の父と子の関係には「冴え返る」雰囲気が濃かった。「冴返る」の度をもう少し進めた「凍(いて)返る」という季語もあって、私が子供だったころの父との関係は、こちらのほうに近かったかもしれない。女の子だと事情は違ってくるのかもしれないが、一般的に言って男の子と父親は打ち解けあうような間柄ではなかった。ふざけあう父子の姿などは、見たこともない。高野素十の「端居してたゞ居る父の恐ろしき」を読んだときに、ずばりその通りだったなと思ったことがある。でも、見ていると、最近のお父さんは総じて子供に優しい。叱るのは、もっぱら母親のようである。となれば、この句が実感的によくつかめない世代が育ちつつあるということになる。良いとか悪いとかという問題ではないのだろうが。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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