小さなワイングラスに白と赤を一杯ずつご馳走になった。効果てきめん。翌朝も頭重し。




2005ソスN2ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0522005

 父と子は母と子よりも冴え返る

                           野見山朱鳥

語は「冴(さ)え返る(冴返る)」で春。暖かくなりかけて、また寒さがぶり返すこと。早春には寒暖の日が交互につづいて、だんだんと春らしくなってくる。普通は「瑠璃色にして冴返る御所の空」(阿波野青畝)などのように用いられる。掲句はこの自然現象に対する感覚を、人間関係に見て取ったところが面白い。なるほど「母と子」の関係は、お互いに親しさを意識するまでもない暖かい関係であり、そこへいくと「父と子」には親しさの中にも完全には溶け合えないどこか緊張した関係がある。とりわけて、昔の父と子の関係には「冴え返る」雰囲気が濃かった。「冴返る」の度をもう少し進めた「凍(いて)返る」という季語もあって、私が子供だったころの父との関係は、こちらのほうに近かったかもしれない。女の子だと事情は違ってくるのかもしれないが、一般的に言って男の子と父親は打ち解けあうような間柄ではなかった。ふざけあう父子の姿などは、見たこともない。高野素十の「端居してたゞ居る父の恐ろしき」を読んだときに、ずばりその通りだったなと思ったことがある。でも、見ていると、最近のお父さんは総じて子供に優しい。叱るのは、もっぱら母親のようである。となれば、この句が実感的によくつかめない世代が育ちつつあるということになる。良いとか悪いとかという問題ではないのだろうが。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 0422005

 ご破算で願ひましては春立てり

                           森ゆみ子

語は「春立つ(立春)」。今日は旧暦の十二月二十六日だから、いわゆる年内立春ということになる。さして珍しいことではないが、『古今集』巻頭の一首は有名だ。「年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ」。在原元方の歌であり、子規が「呆れ返った無趣味」ぶりと酷評したことでも知られる。たしかに年内に春が来てしまい、では今日のこの日を去年と言うのか今年と呼んだらよいのかなどの疑問は、自分で勝手に悩んだら……と冷笑したくなる。大問題でもないし、洒落にもならない。しかしながらこの歌でわかるのは、昔の人が如何に立春を重んじていたかということだ。暦の日付がどうであれ、立春こそが一年の生活の起点だったからである。すなわち、国の生計を支えていた農作業は、立春から数えて何日目になるかを目処にして行われていた。貴族だったとはいえ、だからこその元方の歌なのであり、貫之が巻頭に据えた意図もそこにあったと思われる。回り道をしてしまったが、掲句はその意味で、伝統的な立春の考え方に、淡いけれどもつながっている。今日が立春。となれば、昨日までのことは「ご破算」にして、今日から新規蒔き直しと願いたい。多くの昔の人もそう願い、格別の思いで立春を迎えたことだろう。一茶の「春立つや愚の上に叉愚を重ね」にしても、立春を重要視したことにおいては変わりがない。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


February 0322005

 豆撒く声いくとせわれら家もたぬ

                           高島 茂

語は「豆撒(まめまき)」で冬。間借り生活なのだろう。私にも体験があるが、隣室と薄い壁や狭い廊下を隔てての暮らしは、とりわけて音を立てることに気を使う。ひそやかに暮らさねばならぬ。したがって、いくら節分の夜だからといっても、「鬼は外」など大声を出すわけにはいかないのだ。それでも用意した豆を子供らとともにそっと撒いて、小声でつぶやくように「福は内」と言う。年に一度の大声を、張り上げることもままならない「われら」は、家を持たずにもう「いくとせ」になるだろうか。豆撒きの日ならではの感慨である。しかし、最近では豆撒きの風習もすたれてきたようだ。撒いた後の掃除が面倒という主婦の談話を、何日か前の新聞で目にした。同じ新聞に、代わって流行の兆しにあるのが「恵方巻き」だとあった。元来が大阪の風習らしいが、節分の夜に家族で恵方(今年は西南西)を向き、太巻きの寿司を黙って一気に丸かじりにすると幸運が訪れるという。その昔に大阪の海苔屋がまず花街に仕掛けたといわれ、切らずに丸かじりにするのは男女の縁を「切らない」ようにとの縁かつぎからだそうだ。バレンタインデーにチョコレートを仕掛けた業界の企みと同じ流れだけれど、実質的な夕飯にもなるし、声を出さない内向性も現代人の好みに合いそうだから、ブレークしそうな気がする。そうなると、あいかわらず「鬼は外」とやるのは、テレビの中の「サザエさん」一家くらいになってしまうのかも。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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