今月の看板は仙台在住のプロ写真家・相原亨君。最初の就職先「芸術生活」以来の友人だ。




2005ソスN2ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0122005

 むささびに一夜雨風それから春

                           大石悦子

語は「むささび」で冬。リスの仲間だが、前後肢のあいだに飛膜があって、木から木へと滑空するのが特長だ。性温和、夜行性。冬季としたのは晩冬から初春にかけてが交尾期で、猫のような声で鳴くからだと考えられる。掲句は、もちろん想像の産物だ。想像句で難しいのは、いかに想像の世界を「さもありなん」と読者に思わせるかである。この句では「むささび」が出てくるのだが、これを別の動物、例えばキツネやタヌキなどでも、それなりに違った味の句にはなると思う。が、作者があえてあまりポビュラーとは言えない「むささび」を持ち出したのは、その生態の一部において、感覚的に我々人間の孤独感と通いあうものを思ってのことに違いない。むささびは、群れをなさない。単独か小さな家族単位で暮らしている。子供はせいぜいが一匹か二匹だという。住処である木の洞も、人の狭い住居に結びつく。だから「一夜雨風」ともなれば、私たちの冬ごもりと同じように、じいっと洞に身をひそめて悪天候が去るのを待つしかないだろう。そんな彼らの孤独の夜を、作者は風雨の冷たい冬の夜に想像して、いつしか自分が彼らの行動を断たれた孤独な世界と溶け合っている気持ちになった。だがしかし、こうした淋しくも厳しい冬の夜も、間もなく終わりに近づいてきている。もうすぐ春がやってくるのだ。「それから春」という表現には、孤独の氷解を期待する想いがいわば爆発寸前であることを告げているかのようだ。あさっては節分、四日が立春。『耶々』(2004)所収。(清水哲男)


January 3112005

 人参は丈をあきらめ色に出づ

                           藤田湘子

語は「人参(にんじん)」で冬。大人になっても苦手な人がいるけれど、私は子供のころから好きだった。でも、正直言って最近のものには美味くないのが多い。当時は掘りたての人参を生でも食べていたのだから、よほど甘味に飢えていたのか、あるいは本当に品質が良かったのか。それはともかく、掲句はまことに言い得て妙だ。世の中にはひょろ長い品種もあるのだそうだが、たいていの人参はゴボウなどのように「丈」長くは生長しない。ずんぐりしている。それを作者は人参が「丈をあきらめ」たせいだと言い、その代わりにあきらめた分だけ「(美しい)色に」出たのだと言っている。なるほどねえと、多くの読者は微笑するに違いない。むろん、私もその一人だ。ただ、句では人参が擬人化されていることもあって、なかには人生訓的に読もうとする人もありそうだが、それは作者の意図に反するだろう。この句の生命は、あくまでも人参のありようをかく言い止めたウイットにあるのであって、もっともらしく教訓的にパラフレーズしてしまっては何のための句かわからなくなってしまう。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」などの俳句もどきとは違うのである。ウイット無き俳人は問題にならないが、ウイット無き読者も同断だ。しゃかりきになってこんなことを言う必要もないのだけれど、ちょっと気になったので……。俳誌「鷹」(2005年2月号)所載。(清水哲男)


January 3012005

 夜は水に星の影置き冬の菊

                           加藤耕子

語は「冬(の)菊」。当歳時記では、一応「寒菊(かんぎく)」に分類しておく。芭蕉の昔より「寒菊」「冬菊」の句は多いが、冬季は花が少ないので自然にこの花に注目が集まるということだろう。が、掲句のように冬の夜の菊を詠んだものは珍しい。池のほとりに咲いている冬の菊。今宵の空は煌煌と冴え渡り、「水」は「星の影」をくっきりと写している。その星々と白い菊の花が、まったき静寂の中で澄み切っている様が目に浮かぶ。がさがさとせわしない現代人の暮らしの中にも、心を鎮めれば、こうした情景をとらえることができるのだ。その意味で、この句は私をはっとさせた。叙景句、あなどるべからず。ところで、季語「冬菊」を「寒菊」とは別種なので別項目にしている歳時記がある。最も新しいものでは、講談社版『花の歳時記』(2004)がそうだ。それによると「冬菊」は普通種の遅咲きを指し、「寒菊」は「島寒菊(油菊)」を改良した園芸品種を指すのだという。そして「(これらを)混同している歳時記が多い」と書いてある。しかし私は、それはその通りだとしても、あえて「混同」的立場に立っておきたい。なぜならば、多くの歳時記がどうであれ、肝心の俳人たちが明確に「冬菊」と「寒菊」の違いを承知した上で詠んできたとは、とても思えないからなのだ。たとえば芭蕉の有名な「寒菊や粉糠のかゝる臼の端」にしても、この菊は園芸種でないほうがよほど似つかわしいではないか。それに別建て論者が典拠とする『江戸名所花暦』は文政11年(1827年)の刊行だから、むろん芭蕉が知り得たはずもないのである。掲句は俳誌「耕」(2005年2月号)所載。(清水哲男)




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