吉祥寺東急で版画展示会。気に入ったユトリロは二百万円。ポンと即金で買ってみたい。




2005ソスN1ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1812005

 南天よ巨燵やぐらよ淋しさよ

                           小林一茶

語は「南天(の実)」と「巨燵(こたつ・炬燵)」。前者は秋で後者は冬の季語だが、もう「巨燵」を出しているのだから、後者を優先して冬期に分類しておく。なにしろわび住まいゆえ、部屋の中の調度といえば「巨燵」くらいのものだし、戸障子を開ければ赤い「南天」の実が目に入ってくるだけなのだから……。たぶん父に死なれた後の弟との遺産争いの渦中にあったころの作だろうが、いかにも「淋しさ」が何度もこみあげてくるような情景である。信州だから、おそらくは雪もかなりあっただろう。その白い世界の南天の実は、ことのほか鮮やかで目にしみる。けれども心中鬱々としておだやかではない作者には、自然の美しさを愛でる余裕などはなかったろうから、鮮烈な赤い実もかえって落ち込む要因になったに違いない。つい弱音を吐いて「淋しさよ」と詠んでしまった。そうせざるを得なかった。でも、妙な言い方になるけれど、これほど吠えるように「淋しさよ」と言い放つたところは、やはり一茶ならではと言うべきか。文は人なり。そんな言い古された言葉が、ひとりでに浮かんできた。(清水哲男)


January 1712005

 金目鯛手に黒潮の迅さ言ふ

                           中村幸子

語は「金目鯛」としておく。手元の歳時記を調べてみたが、この魚を季語としたものはなかった。が、金目鯛の漁期は十二月から三月ころまでなので、作者が冬を想定して詠んでいるのは明らかだ。実景だろう。見事な金目鯛を一本釣りで釣り上げてきた漁師がそれを両手に抱えるようにして、嬉しさを隠しきれないようなのだ。周りの人たちも、凄いなあと感嘆している。でも、彼は自分の腕前をストレートに自慢するのは照れ臭いので、しきりに「黒潮の迅(はや)さ」を言っている。つまり、如何に困難な条件下にあったかを言うことで、間接的に腕自慢をしているわけだ。こんな情景に出くわしたことはないけれど、私には日焼けした漁師の表情までもが目に浮かぶ。というのも、おそらくは別の場面で何度も似たような経験があるからなのだろう。いわゆる職人肌の人はおおむね照れ屋であり、自慢も婉曲に表現する場合が多い。画家などの芸術家にもそういう種類の人は多く、周囲が讃めるとなおさらに婉曲的になる。自分の能力のことは放っておいて、たとえば紙や顔料の入手に苦労した話ばかりをしたりするのだ。奥ゆかしいと言えば奥ゆかしいし、もどかしいと言えばもどかしい。こうした処世美学は、西欧人にはあまり通じないかもしれないと思う。いや日本でも、職場などで声高に能力の誇示が叫ばれはじめたからには、やがてこうした謙譲の美徳につながる姿勢は理解されなくなりそうだ。『笹子』(2005)所収。(清水哲男)


January 1612005

 うそのやうな十六日櫻咲きにけり

                           正岡子規

語は「十六日桜(いざよいざくら・いざざくら)」で新年。前書きに「松山十六日櫻」とあるように、愛媛県松山市にある有名な桜だ。正月十六日(旧暦)に満開となる。一茶がこの桜を見に出かけ、「名だたる桜見んと、とみに山中に詣侍りきに、花は咲満たる芝生かたへにささえなどして、人々の遠近にあつまりたる……」と日記に記した。小泉八雲も『怪談』で紹介している。もっともこの桜は戦災で焼けて枯れてしまい、現在伝えられている樹は元の樹の実から育てたもので、満開は新暦三月初旬頃だそうだ。早咲きには違いないが、子規が見た頃のように「うそのやうな」早咲きぶりではない。掲句は明治二十九年(1896年)の作。既に体調がおもわしくなく「二月より左の腰腫れて痛み強く只横に寝たるのみにて身動きだに出来ず」という状態。それでも「四月初め僅かに立つことを得て」、「一日車して上野の櫻を見て還る」と花見に出かけていった。このときに詠まれた句だから、写生句ではない。上野の桜を見ているうちに、卒然と故郷の花を思い出したのだろう。誰にだって故郷贔屓の気味があるから、咲く時期の早さといい花の見事さといい、上野の花よりも十六日桜のほうに軍配をあげている。「うそのやうな」には、そんなお国自慢めいた鼻のうごめきが感じられる。が、内心では、もう一度あの花を見てみたいという望郷の念止み難いものもあったに違いない。べつに名句というような句ではないけれど、珍しい新年句として紹介しておく。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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